Archive for 6月 10th, 2010

子どもの“ほめかた”には原則やコツがある!?  ~その1~

木曜日, 6月 10th, 2010

 親なら誰でも、子どもをよくするには“ほめること”が大切だということを知っています。ところが、ほめることを実践し「うまくいった」という話をあまり聞きません。なぜでしょう。おそらく、効果的なほめ方がどういうものかを、知っておられる親御さんが少ないからではないでしょうか。「子どもの上手なほめかた」は、以前も話題にしましたが、今回も再び話題に取り上げてみました。

 なお、今回の記事はアメリカの心理療法家(故人)の文献から一部引用したほか、そのかたの考え方を参考にして書いています。予め、おことわりしておきます。

 ある女性から心理療法家のもとへ電話がかかってきました。

「家族みんなで遠距離ドライブをしていたんです。車の後ろで息子がお行儀よく座っていました。「ごほうびでもあげなければ」と思ったほどです。そこで後ろを振り返り、「あなたはお利口ね。とても行儀がよくて・・・・・・ママもうれしいわ」と言ったんです。 その直後、びっくりするような事件が起きたんです。息子が車の灰皿をはずすと、中身を私たち夫婦に向かってぶちまけたんです。灰や吸い殻、煙が飛んできて、大変な騒ぎになりました。私は本気であの子をほめてやったのに、理由がわかりません。ほめられることが、今どきの子にはうれしくないんでしょうか・・・・・・」

 これをお読みになった保護者の方はどう思われたでしょうか。なぜ、息子さんは親に灰皿を投げつけたのでしょうか。

 やがて事件の真相がわかりました。彼(息子さん)は、車のなかでずっとある考えを巡らせていました。それは、前の席で両親を独り占めしている弟をどうやったら追い出せるかということでした。弟に嫉妬していたのです。いろいろ考えた末、最後に浮かんだアイデアは、「もし車が突然真っ二つになれば、自分と両親は助かり、赤ん坊の体は切断されるだろう」ということでした。

 ところが、そんな恐ろしいことを考えていたとき、突然母親から「お利口ね」と言われたのです。彼は狼狽しました。そして罪悪感に襲われました。「ボクはいい子なんかじゃない!」という心の奥の叫びが、発作的に灰皿をぶちまけさせたのでした。

 この事件は、私たちに何を教えてくれるでしょうか。ほめてやりさえすれば、子どもが自信を得たり、心を落ち着かせたりできるのではないということです。

 子どもはいつもいい子でいるわけではありません。「おとうさんなんか、死んでしまえ」とか、「弟が重い病気にかかって入院すればいいのに」など、許されざる願望を抱くときだってあります。

 そんなとき、子どもはほめられればほめられるほど、真の自分を知ってほしいという露悪的衝動に駆られます。その結果、望ましくない行動に及びます。大人にすればそんな子どもが理解できません。よいことをしたからほめたのに、まるでそれが気に入らないかのような乱暴な振る舞いをするのですから。

 子どもは、他者が自分に対して抱くイメージについて、内心異議があるときには、いたずらをしたりよくないことをしたりすることで自分の意志を伝えようとするのです。そのことを、子どもをもつ親は知っておくべきかも知れませんね。

 筆者がファシリテーターの資格を取得している、国際的民間教育運動には、「ほめる場合でも、叱る場合でも、“○○な子”というレッテルを貼ってはいけない」という教えがあります。

 たとえば、転んで泣いている近所の子を助け、家まで送ってあげたわが子を「なんて親切な子なの」とほめるのはよくないと言われています。なぜなら、ほめられた本人は、常日頃自分を「いじわるな子だ」と認識していて、「今日は、たまたま親切にしただけだ」と、思っていたかも知れないからです。そんなときにほめられると、罪悪感に襲われ、かえって親に反発したくなるのです。

 子どもをほめるときの最も大切で、ただ一つの原則。それは、「ほめるなら、子どもの努力やそれによって成し遂げたことをほめること。子どもの性格や人格を問題にしてはならない」ということです。子どもがリビングをきれいに片づけてくれたときには、「よい子だね」というほめかたをするのは適当ではありません。望ましいのは、子どもがしてくれたことをそのまま映してみせる働きをするべきで、子どもの人格について言及するのは好ましくないのです。

 ですから、「感心な子ね」「あなたはおかあさんの自慢の子よ」「ママ、あなたがいなかったらどうしていいかわからない」――こういうほめ方は、かえって子どもを脅かすおそれがあります。親にほめられるほどよい子だという自信がないとき、親のほめ言葉は重荷になってしまいます。「よい子」というレッテルを貼られると辛くなるのです。

 前出のアメリカの心理療法家は、「真正面から人格をほめられるのは、直射日光を浴びるようなものだ。まぶしすぎて当惑してしまう。そして、少なくともそのほめ言葉のある部分を否定せずにはいられなくなる」と、述べておられます。

Posted in 子育てについて