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6年生の今月の本


小僧の神様 タイトル 小僧の神様
著者 志賀 直哉
出版社 集英社
 

 仙吉(せんきち)は、神田(かんだ)にある秤(はかり)屋に奉公(ほうこう)していました。あるしずかな秋の日、仙吉は、店先で二人の番頭(ばんとう)が鮨(すし)の話をしているのを耳にします。「おい、幸(こう)さん。そろそろお前の好きな鮪の脂身(あぶらみ)が食べられる頃だネ」 「ええ」 「今夜あたりどうだね。お店を仕舞って(しまって)から出かけるかネ」 「結構ですな」 仙吉は、二人の話しているすし屋がどこにあるかとういことだけはよく知っていました。けれど、まだ小僧の仙吉にはそういう店の暖簾(のれん)を勝手にくぐることはできません。

 ある時、使いに出された仙吉は、帰りの電車賃(ちん)を使って屋台のすし屋へ入ることを思いつきます。屋台の暖簾をいきおい良くくぐり、中で立っている大人たちの間に入った仙吉は、脂の乗った前下がりの厚いケヤキ板の上をせわしなく見回しながら、屋台の主(あるじ)に向かって言いました。

……「海苔(のり)巻はありませんか」
主は小僧の方をジロジロ見ながら
「今日は出来ないよ」
とひと言いいました。すると、仙吉は
「こんな事は初めてじゃない」
といういわんばかりに勢いよく鮪を一つつまみました。けれどつかんだときの勢いとは裏腹に、すしを引くその手はためらっていました。

「一つ六銭(せん)だよ」
主のその言葉を聞いて、仙吉は黙ったまま、すしを台の上へ返しました。

「一度持ったのを置いちゃあ、仕様(しよう)がねえな」
戻されたすしを、握ったばかりの新しいのと入れかえる主人を見て、仙吉はちょっとその場が動けなくなりました。が、すぐに勇気をふるって暖簾の外へと出て行きます。そんな小僧のようすをずっと見ていた一人の人物がいました。貴族院議員のAです。
「何だか可哀想(かわいそう)だった。どうかしてやりたいような気がしたよ」
というAに、Bが言いました。
「ご馳走(ちそう)してやればいいのに。幾ら(いくら)でも、食えるだけ食わしてやると言ったら、さぞ喜んだろう」
「小僧は喜んだろうが、此方(こっち)が冷汗ものだ」
とAは言いました。
「冷汗? つまり勇気がないんだ」
「勇気かどうか知らないが、ともかくそういう勇気は出せない。直ぐ一緒に出て他所(よそ)で御馳走するなら、まだやれるかも知れないが」

……それから数日たったある日のことです。仙吉のいる秤屋にぐうぜんやって来たAは――。

【 さて、Aは小僧にすしをご馳走することができたのでしょうか? なぜ、Aは小僧にご馳走するのをためらうのでしょうか? 街に電車は走っていても、店にはまだ丁稚(でっち)や番頭がいて、通りを歩く人たちのほとんどは着物を着ていた頃のお話です。小僧の仙吉と、貴族院議員のA、二人の立場のちがいやそれぞれの思いが手に取るように感じられる作品です。仙吉の子どもらしい素直な心の動きに思わずほほえんだり、Aの悩みにうなずいたりする人は多いと思います。ぜひ読んでみてください。】

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