ほんものの指導のプロとは ~その2~

12月 15th, 2008

 前回に引き続き、大村はま先生の文献の一部をご紹介し、私たちの考えを述べさせていただきます (若干簡略にしています)。

 「もっとよく考えなさい」「勉強しなさい」「きれいに書きなさい」などと、教師がこうなったらいいと願っていることを、「なさい」ということばをつけて子どもに言う、これは専門の教師としては、たいへん、みっともない気がします。その、「なになにしなさい」というのは、誰でも、みんな言えることばです。「なさい」「なさい」は子どもの周りに満ちています。ですから、そのことを自然にさせるように指導することを仕事にしている人、つまり教師が言うことばとしては、たいへん、らしくないと思うのです。そう安易に言わないで、子どもを自然にさせてしまう人、そういう人が教育の専門家らしい人だと思います。漢字なら漢字を一生忘れないように、一生使っていけるように身につけさせるのが、教師の仕事。子どもが忘れたということは、それほど子どもの心に深く刻むことができなかったということでしょう。忘れてはいけないことは、忘れられないようにする、たいへんなことですが、専門職の教師としての心構え・覚悟は、そこに置かなければと思います。

 私たちも、学習指導のプロの端くれとして、この指摘を真摯に受け止めなければなりません。「なさい」「なさい」は、私たち自身無意識に使いがちな言い回しですが、子どもたちは家庭を含め、何千何万回もこのことばを浴びせられています。子どもの自発的学びを支援する家庭学習研究社の指導担当者であればこそ、こうした命令のことばを使うのではなく、自然と子どもを望ましい取り組みに導いていけなければならないと、強く思います。

 大村先生のことばどおり、それはたいへんなことですが、やらされて勉強するのではなく、子どもが自発的に学ぶ態度を育成することこそ、公的立場、民間の立場に関わらず、学習指導において最も配慮し実践すべきことだと思います。それには、「どうすれば子どもに影響力のある先生になれるか」を絶えず自らに問い続けねばなりません。答えは人それぞれ違うでしょうが、この仕事をする以上、常にそのための努力をしながら指導にあたる必要があると思います。まして私たちがお預かりしているのは、高いレベルで学問を修めていく可能性の高い子どもたちです。そういう子どもたちにこそ、大人に言われて勉強するのではなく、自然に勉強に取り組む姿勢が求められているのですから。

※次回より、毎週月・水・金曜日に更新いたします。

Posted in 家庭学習研究社の理念, 教育者とは

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