80歳にしてわが子と心を通じ合えた女性の話
2月 13th, 2009
母親の愛情は、その深さゆえにわが子にうまく伝えることができず、悩みを伴うことがあります。今回も、引き続きそのことを話題に取り上げてみます。今回は、カウンセリング系の書物(著者は、チャック・スペザーノ博士)に書かれていたことを引用しご紹介します。
イギリスで行われた博士のワークショップでのことです。80歳前後の女性が、思い詰めた表情をして発言しました。その女性は、同じ年格好の友人と一緒に来ているようでした。老いたその女性は、娘とうまくいっておらず、深い孤独感に苛まれていました。子ども時代においても、嫁いだ後の人生においても幸福感に満たされたことがなく、何か自分が生きていくうえで大切なものを見失ってきたようで、いたたまれない思いに襲われていたのです。
私は、こう彼女に尋ねました。
「その感情が始まったのはいくつのころでしたか?」
「12歳のときです」
私はまた尋ねました。
「何が起きたから、その感情がわいてきたのだと思いますか?」
「母が私のことを大声でどなって、叱りつけたんです」
私は言いました。
「その結果として、あなたは自分自身についてどんなことを感じるようになったのでしょうか?」
すると、彼女は泣き始め、こう言いました。
「自分は愛される人間ではないと感じ始めました」
私は彼女に言いました。
「このことが原因で、自分の人生で孤独を感じるようになったのではないですか?」
「はい、そのとおりです」
そこでまた私は彼女に、
「これまで誰かに対し、あるいは何かに対し、怒鳴りつけたことはありませんでしたか」
と、尋ねました。
「あります」
「怒鳴りつけたとき、何を感じていたのですか?」
「腹を立てたのは、その人たちのことを心配していたからです」
「あなたが誰かを怒鳴りつけたり、叱ったりするとき、その人のことを愛していないという意味なのでしょうか?」
すると、彼女は言いました。
「いいえ、そうではなく、娘のことを愛していたからこそ、心配だったのです」
そこで私はこう尋ねました。
「おかあさんがあのように振る舞ったのは、どのように感じていたからでしょうか?」
すると、彼女はこう答えました。
「母もまた怖かったのでしょう。私がちょうど思春期に達し、私とどのようにコミュニケーションをとったらいいのか、自分の不安をどのように表したらいいかわからず、怖かったのでしょう」
「あなたを怒鳴りつけたとき、おかあさんはあなたがかわいくないと思ったからでしょうか? それとも、あなたに何かひどいことが起きるのではないかとただ怖れていたのだと思いますか?」
すると彼女は、
「ただ怖れていたのだと、・・・・・・」
と言って、号泣し始めたのでした。
「母は私を愛してくれていたのですね!」
「母は私を愛していてくれた」と、涙の合間に彼女が見せる表情は輝いていました。そして、そんな彼女を抱きしめる同年輩の友人もまた、彼女とともに心の底から泣いていたのでした。
その後の休憩時間に見た光景は、私の人生で最も心に残るものとなりました。二人の白髪の夫人が廊下で互いに抱き合い、喜びの涙を流しながら、私の前を歩いていました。後で聞いたことですが、その婦人は娘さんと和解ができ、親友ともまったく新しいレベルのコミュニケーションと友情が始まったそうです。68年も経って、ずっと自分は愛されていないと思っていた誤解がやっと解け、この婦人は自分が愛されていると感じることができ、再び生き返ることができたのでした。
親は、わが子に限りない愛情をもっています。しかし、それゆえに感情を抑えきれず、怒鳴ってしまったり、心とは逆のことを言ってしまったりしがちです。「子どもに善くあってほしい」という願いから出たはずの言葉が、逆に子どもの心を深く傷つけてしまうこともあります。子どもが思うに任せないとき、子どもへの気持ちが強いエネルギーとなって噴出し、感情のあらわな言葉と化した経験は誰もがもつものです。それを人知れず後悔し、思い悩むおかあさんは少なくありません。
親から発せられる厳しい言葉が、愛情からくるものであると理解するには、小学生の子どもはまだまだ幼すぎるのではないでしょうか。「どう言ったら、わが子はわかってくれるか。親の気持ちを理解してくれるか」それをよく考えながら子どもに接してやりたいものですね。そういう親の思いやりは、子どもが親になったときに、確実に受け継がれていくことでしょう。今回の話が、母親としての苦しみを少しでも感じている人の参考になれば幸いです。
※転載した文章は、紙面の都合で若干調整しています。