おかあさんがわが子をほめないのはなぜ?
2月 16th, 2009
以前、子どもをやる気にする秘訣、子どもを勉強好きにする方法として、「わが子をほめる」ということをご提案しました。ただし、「子どもをほめよ」ということは、ことさら取り上げるまでもなく、多くの子育て本に書かれています。敢えてそれを書いたのには理由があります。おそらく、子育て本にそういうことがしきりに書かれているのも同じ理由からだと思います。
さて、その理由とは何でしょうか。それは、「子どもをほめるおかあさんが少なくなっている」ということです。
では、なぜおかあさんはわが子をほめなくなったのでしょうか。それは、子育ての負担がおかあさん一人に集中しているからではないでしょうか。大がかりな調査によると、わが国の家庭では、子どもの躾・教育の80数%はおかあさんが引き受けておられます。これは、大変な心労やストレスを伴うことであり、その結果、おかあさんはわが子をほめようにも、心のゆとりを失ってしまっているのです。
もう一つ、戦後の豊かな時代に育ったおかあさん方は総じて高学歴です。わが子に対する要求も自然と高くなります。自分が子どものころにできたこと(筆者自身そうですが、親になると自分の子ども時代を美化する傾向があります)ができないわが子を見て、ともすれば辛口な評価を下しがちです。「どうしてこんなこともできないの」という不満が、ついつい口をついて出てしまい、「ほめてやろう」という発想がどこかへ消え去ってしまうようです。
「ほめる」という行為は、本来「がんばったら」という条件つきのものではありません。「がんばらせるため」にほめるのです。がんばっている子どもは、成績的にもすでに報われています。「がんばりを引き出すために、ほめてやらねば」という発想こそ必要なのです。ところが、多くの家庭では「ほめてやろうにも、子どもががんばってくれない」となりがちです。
かく言う筆者の家庭も例外ではありませんでした。ことあるごとに愚息を叱りとばす妻を見て、「どうしたものか」と密かにため息をついたことは一度や二度ではありませんでした。
そんなあるとき、手にしていた本の記述がふと目に留まりました。それを読んで、筆者は「これだ!」と膝を打つ思いに駆られたものです。その本には、「おかあさんがわが子をほめないのは、おかあさんをほめてくれる人がいないからだ」というようなことが書かれていました。二世代家庭が標準化したわが国の家庭では、子育てに悪戦苦闘するおかあさんを慰労してくれる存在がいません。旦那さんは仕事でくたびれて帰り、相談相手にすらなりません。やり場のないおかあさんは、つい子どもに辛くあたってしまうのです。
「そうだ。毎日子どもの世話をしている妻の苦労に報いてやらなければ。今日は家に帰ったら、真っ先にご苦労さんの声かけをし、ほめてやろう」――そう思って家路を急ぎました。
ところが、不測の事態によって、筆者のこの思いは直前にスッと消え去りました。「いいかげんにしなさい!何回言ったらわかるの!!」と、愚息に向けられた金切り声が玄関のドアを突き抜けて耳に飛び込んできたのです。「こんな妻をほめることができるのは、神様か仏様、聖人君子ぐらいのものだ」と、呆然とした思いで立ちすくんだことを思い出します。
しかしながら、後で思い直しました。「だからこそ、子育ての苦労のさなかにいるおかあさんにはほめる人が必要なのだ」と。夜家に帰って、束の間子どもの相手をしてやるだけの父親は、まさにいいところ取りの立場です。ちょっと話し相手、遊び相手になっているうちに、子どもは寝てしまうのですから。一方、おかあさんはそうはいきません。朝から晩まで子どもと生活を共にしなければならない立場に置かれています。あらゆる瞬間に、躾と教育に必要な判断や行動が求められているのです。明らかに、おかあさんのほうが圧倒的に大変なのです(共働きの家庭ではなおさらであろうと思います)。