中学受験は、“善く生きる人間”への旅立ち
3月 2nd, 2009
今回は、本日(3月2日)折り込みのチラシの表題に沿ったテーマに基づいて書いてみます。
一昨年から昨年にかけて、ある大学の創立150周年記念行事の一環として、全国の主要都市で大がかりな一連のイベントが催されました。広島も開催地に選ばれ、一昨年の9月、平和公園内のホールで「家庭教育」をテーマにした約4時間のイベントが開催されました。
この「家庭教育」というテーマに興味をもち、筆者も若手社員とともに会場に足を運んでみました。会場には、およそ千人の人たちが来られていたでしょうか。その催しで基調講演をされたのは、文学部の名誉教授である村井実先生でした。村井先生は御年85歳の老齢です(今年87歳!)。立ってお話をされること自体が大変なご年令ですが、矍鑠(かくしゃく)としたご様子で、約30分間にわたり「善く生きるとは」をテーマにお話をされました。
村井先生は、佐賀県出身で、広島大学の前身である広島文理科大学で学ばれた経験がおありです。このように、広島にゆかりのある人物ということで村井先生が招かれ、先生のご専門である教育学から、「家庭教育」というテーマが設定されたのでしょう。
さて、司会の女性が「先生、“善く生きる”という言葉を何度も使っておられますが、簡単に言えばどういう意味の言葉なのでしょうか?」と尋ねました。すると先生は、「善く生きるとは?と聞かれても、善く生きるということで、他に言いようがないのだが・・・・・・」と、しばらく考えたあと、「そうだな、要するに、善く生きるというのは、失敗をしてもくじけたりあきらめたりせず、何度もやり直しながら、困難を克服して成長していくような生き方のことです」というようなことをおっしゃいました。
「善く生きる」という言葉の意味。それを、子育ての最中にある若いおとうさんおかあさんに、是非考えてみていただきたいと思います。親にとってわが子は無条件にかわいいし、大切な存在です。そのあまり、子どもの行為のすべてに関わり、失敗しないよう手助けするケースは少なくありません。しかしながら、子どもというものは、失敗を通して様々なことがらを学んでいきます。子どもに先回りして何でも手を出してしまうと、いつまで経っても自立できません。
失敗に学び、失敗を乗り越えていく経験。これこそ成長の源なのです。勉強も例外ではありません。おとうさんおかあさんにお伝えしたいのはそのことです。受験するからには合格させてやりたいのが親心。また、失敗して辛い思いを味わわせたくない気持ちも分かります。しかし、途中の失敗は決して失敗でも無駄でもありません。子どもが体験を通して大切なことを学ぶ、得難いチャンスなのです。
子どもに限りませんが、人間が鍛えられるには目標が必要です。目標が大きければ、それだけ到達するのに準備も必要で、苦労も伴います。しかし、それが子どもの成長を引き出してくれるのです。中学受験をする意義は、結果を得ること以上にこのことにあるのではないでしょうか。
子どもは、受験に至る途中で小さな失敗を繰り返したり、壁にぶつかって悩んだりすることでしょう。そんな子どもを温かく見守り、そして必要最小限の手助けをする。それが親の愛情であろうと思います。中学受験は、“善く生きる人間”への旅立ち。チラシに書いたこの表題は、以上のような思いを込めたものです。
ところで、村井先生は、若い頃から一貫して“善く生きるとは”を追求してこられた学者です。そして80歳をとうに過ぎた今なお活動を続けておられます。まさに、村井先生の人生こそが“善く生きる”ことを具現しているかのようです。「一生学び続け、現役であり続けるこの先生のような生き方をしたい!」--この日はつくづくそう思いました。無論、先生とは比べるべくもない小さな存在です。しかし、「生き方を見習い、努力を続けることが大切なのだ」と自らに言い聞かせている次第です。