言葉遣いの改善が子どもを変える ~その1~
3月 25th, 2009
2~3月にかけては、子どもの言葉の発達に関する話題を中心に書きました。また、そのまとめとして3月13日には、「おかあさんは最高の言葉の先生」というタイトルの記事を書きました。家庭でおかあさんがどのような会話を心掛けることが、子どもの知的能力の開花につながるか、簡単ではありますが提案をさせていただきました。 ただし、「親子の会話のありかたについて、もう少し踏み込むべきだった」という思いも後から湧いてきました。そこで今回は、この話題について再びお話をさせていただこうと思います。
人間同士の会話の際、脳のなかではどんなことが起こっているのでしょうか。筆者も大して詳しくはありませんが、知っていることをちょっと書いてみましょう。
当たり前ですが、会話は音声によるやりとりです。耳を通じて入力された音声言語は、第一次聴覚野を経て隣接するウェルニッケ言語野(意味理解の中枢)へ転送されます。ここで相手の話(メッセージ)の意味が理解されます。それと同時に、受けたメッセージについての自分なりの判断や思考が行われます。そこで今度は、自分のメッセージを相手に伝えようとする意志が働きます。すると、その内容がブローカ言語野(構音の中枢)へと転送され、そこから発話に関わる口や唇、舌などの筋肉に伝えられ、音声に変換されて表出されます。これが、会話の舞台裏です。
言葉を理解する力や、言葉をもとに思考する力、言葉によって表現する力は、上記であげた二つの言語中枢、すなわちウェルニッケ野とブローカ野を介した信号のやりとりを密にすることが必要です。絶えず「音声で届けられたメッセージ→意味理解」→思考→「伝えたいメッセージ→音声言語化」という信号の流れを脳内で循環させるのです。
また、扱われる言語情報が複雑で高度なものであったなら、人間の脳はそれに適応しようとします。つまり、単純な言葉のやりとりをするか、複雑で構造的な言葉のやりとりをするかで、脳の信号処理のキャパシティが随分違ってくるのです。会話で扱われる語彙が豊富で、センテンスが長く、相手の集中力や理解力を要求する話し方をすることが、脳のキャパシティ・アップにつながるのは疑う余地のないことだと思います。
会話は、毎日の積み重ねです。その毎日の積み重ねにおいて用いられている言葉が、高度な内容を理解したり発信したりする力を育てるようなものになっているかどうかで、人間の脳の鍛えられ方に随分差が生じてくるのです。
もう20年以上まえのことです。東京都立大学(現首都大学東京)の坂元忠芳先生の著作を読んでいたところ、子どもの「言葉遣い」と「学力」の相関関係について興味深いことが書かれていました。現在その本が手元になく、うろ覚えで恐縮ですが、大体次のようなことが書いてあってように記憶しています(記憶に多少間違いがあるかもしれません。ご了承ください)。
坂元先生は、若い頃に小学校の教員をされていた時期があります。そのとき、担任をした3年生のクラスで気になることがありました。クラスの子どもたちは元気いっぱいで活動的であった一方、テストの成績が他のクラスと比較するとよくありませんでした。
「なぜだろう」といろいろ考えたそうですが、先生はやがてあることに気づきました。クラスの子どもたちの話し方が、おしなべて幼いのです。短いセンテンスで、ぶつ切りの言葉でやり取りすることが多く、そのためか教科書や書物を通じた情報の理解も苦手なようでした。「そうか、もっと言葉を介したコミュニケーションの力を磨かなければ」――そう考えた坂元先生は、徹底的にクラスの子どもたちの言葉遣いを改めさせたそうです。(以下、次回に続きます)