「自学自習」の価値は、受験後に見えてくる
4月 1st, 2009
前回は、自学自習を高い次元で実現している子どもの様子をご紹介しました。ただし、ほとんどの子どもは、自学自習の大切さやよさを実感するまでには至りません。毎日の家庭勉強や塾での学習を通じて、少しずつ地道に自分で学ぶ姿勢を築いていきながら、完成途上の状態で入試を迎えることになります。しかし、そうやって築いていった自学自習の芽が、やがて中学進学後に大きく育つのです。
受験での志望校合格を全員に確約することは不可能です。ですが、自学自習の姿勢なら、子どもたち一人ひとりの努力に応じて応分な成果を保障できます。そして、それこそが子どもたちにとって、先々大きく学力を伸ばしていくうえでいちばんの支えになるのです。私立の中・高一貫校に進学すると、学習の流れははやく、宿題も多量に出されます。しかも授業のレベルは高く、自学自習の姿勢が欠落したお子さんは、大変な苦労を強いられます。だからこそ、自学自習の姿勢を培いながら合格を得ることをめざすべきだと私たちは考えています。
ただし、いざ受験勉強が始まると、「自学自習云々より、得点力をつけて合格することが先決」といった考えにとらわれがちです。あるとき、わが子の成績不振で悩むおかあさんの電話相談を受けていたら、あまりにも目先のテスト成績ばかり気にされるので、少したしなめるようなことを言ってしまいました。すると、「でも受からなきゃ、何も始まらないじゃないですか!」と、大声で反論されました。
おかあさんのお気持ちは十分わかるのですが、おかあさんに毎日成績のことばかり言われ、叱咤激励されるお子さんの気持ちも考えてみるべきでしょう。おそらくは、「一日も早く勉強から解放されたい」という思いで心は張り裂けそうになっているのではないでしょうか。入試が終わったあとの、そのお子さんの行く末が心配になってしまいます。
経験的に言えることですが、おかあさんが成績至上主義・結果至上主義で子どもに接していると、お子さんは家での猛勉強とは裏腹に、学校や塾では、息抜きや憂さ晴らしをしているか抜け殻のようにぼんやりとしているかのどちらかになりがちです。こうなると、中学受験での合格どころではありません。残念なことですが、こうしたことは多くの中学受験生の家庭で繰り返されているのではないかと思います。
受験が近づいてくると、親が成績を気にする以上に、子どものほうが成績に敏感になっています。そんなときに、親が成績のことであれこれわが子に指図をして振り回すことは、何のプラスにもなりません。親はどんなときにも決して目先のことにとらわれてはならないのです。「大切なのは、自分を見失わず、自分のできる精一杯を尽くすことなのだ」というスタンスに立ち、温かく余裕をもってわが子に接する親であっていただきたいと存じます。
これは、昔読んだ本に書いてあったことです。息子さんの受験が近づいたある日、おとうさんは次のようなことを語られたそうです。「もしおまえが試験に落っこちたら、おまえが前からほしがっていた・・・・・・を買ってやろう」 「受かったら」でもなく、「落っこちても」でもなく、「落っこちたら」という言葉のなかに、親としての限りない愛情が込められている話であろうと思います。息子さんのにっこりした表情が目に浮かぶようです。きっとおとうさんのその言葉で、プレッシャーから解放されたのではないでしょうか。
いつの間にか、話が本題から外れてしまったようです。これから中学入試までには、それこそ山あり谷ありで、順風満帆というわけにはいかないかもしれません。子どもの精一杯のがんばりを応援しつつ、もっと先の学力形成の流れを視野に入れ、大局的見地に立って応援をしてやりたいものですね。