「意欲」が先か、「習慣」が先か。
6月 12th, 2009
あるとき、たくさんのおかあさんが参加された催しの席上で、「学習習慣」と「学習意欲」のうち、お子さんの学力形成においてまずもって必要だと思うのはどちらだと思われるかを尋ね、挙手をしていただいたことがあります。
結果を言いますと、挙手は両者ほぼ半分ずつに分かれました。実は、同じような試みを何度かしたのですが、結果は毎回ほぼ同じでした。学習習慣と学習意欲。この二つは、学力形成においてどちらも欠かせない重要なものです。「どちらが、重要だと思いますか」と言われると、ほとんどの人は困るのではないでしょうか。
この質問のミソは、「まずもって重要だと思うのはどちらか」という点にあります。つまり、重要性の高低ではなく、順序を尋ねているわけです。この点に関して、おかあさんがたがどのように考えておられるかを知りたくて質問してみたのです。
この質問に対して、明快な答えを提示されておられる大学の先生がおられます。教育社会学者の志水宏吉先生(大阪大学大学院教授)です。志水先生によると、先ほどの質問の答えは、「学習習慣」だそうです。以下は、近年喧伝される日本の子どもの「学力の低下問題」と、「学習習慣」「学習意欲」との関連について、志水先生が著書で述べておられたことを引用したものです。
(前の部分は省略)近年の論調では、「子どもたちの学習意欲の低下こそ最大の問題である」と語られることが多い。「子どもたちの意欲を高める働きかけこそが、教師が考えなければならないポイントである」と主張されることも多い。しかしながら私は、こうした意見には反対である。学力問題の核心は、「子どもたちの意欲をどう高めるか」という「意識」の問題などでは決してなく、「子どもたちの習慣づけをどう図るか」という「行動」レベルの問題であると考えるからである。
もともと勉強がきらいだという子がいないのと同様に、生まれつき学習意欲が低いという子どももおそらく存在しない。逆に、世の中のすべての事柄に対して意欲をもっている人間というのも考えにくい。「意欲」というものは個人に内在するものではなくて、環境との関わりで生じるものである。
志水先生は、「習慣が先である」ということの根拠を、「食習慣」を例に説明しておられました。たとえば、日本人の食卓になじみの深い「納豆」や「みそ汁」「なまこ」などを思い浮かべてみましょう。これらを食する習慣をもたない外国の人々にとっては、「気味の悪いもの」であり、中には「食べ物には見えない」と言う人だっているかもしれません。
しかしながら、子どものころからこれらを食べる習慣を身につけていた日本人の多くにとって、食卓に欠かせないものです。「納豆やみそ汁のにおいがしただけでのどがゴクリと鳴る」と言う人さえいます。これは、食習慣が食欲を生んだ結果にほかなりません。
志水先生はさらに、「難しい数学の問題も、それと格闘をし、答えにたどり着いたときの喜びを知っている中・高校生にとっては意欲の対象になるが、数学が大嫌いになってしまっている中・高校生にとっては、忌避の対象に過ぎない」と述べておられます。
このことを踏まえるなら、子どもの学力形成においては、まず「『習慣づけ』をいかにして図るか」ということを考える必要がありそうですね。学習の習慣が根づけば、毎日一定の時間子どもは机に向かって勉強をするようになります。勉強を継続的にやっていれば、自ずとその面白みもわかってくるはずです。そうやっているうちに、「習慣」と「意欲」は互いに連携して子どもの学習の推進力となり、学力の伸長に大いに寄与することでしょう。
約40日間ある夏休みは、学習の計画を立て、毎日一定の時間机に向かって勉強する習慣をつける絶好の機会です。無理な計画を立てず、リズムよく勉強していく流れをつくっていけば、やがては「やらずにはいられない」という強固な習慣になっていきます。そうなると、机に向かうときの重たい決意は必要なくなり、体が勝手に机に向かって動くようになるものです。
確かな学習習慣は、「計画」に基づいた生活あってこそ身につきます。勉強面のみならず、毎日の行動が行き当たりばったりにならないよう、この夏休みをきっかけに、生活全般から見直してみてはいかがでしょうか。