夏休みを子どもの成長の契機にする ~その2~
7月 6th, 2009
次は、「子どもに接する態度を工夫して、子どもの“考える力”を伸ばす」という、二番目の提案について書いてみます。
「考える力」というとやや語弊があるかもしれません。ここでは、「よく考えながら話す姿勢を、いかにして子どもに身につけさせるか」ということに的を絞ってお話ししました。これは、一つ目の提案と話の内容をリンクさせかったためでもあります。
子どもの話す様子を見ていると、思いつくまま、相手構わず一方的に話していることが多いものです。これでは、複雑な事柄を思慮深く考え、理路整然とわかりやすく相手に伝える力はなかなか身につかないことでしょう。どうしたものでしょうか。
これに対する対処方法は、おかあさんが子どもの話に耳を傾け、共感の気持ちで聴いてやるということであろうと思います。大人は、毎日忙しく働いています。一方、子どもは親の様子にお構いなく話しかけてきます。まさに、“話したいときが話すとき”といったありさまです。相手の状況に斟酌する姿勢はまだ身についていないのです。そこで、つい親は「今忙しいの!」とか、「後で」などと面倒がったり、適当にあしらってしまったりすることが多いものです。
しかしながら、これでは子どもの知的能力は育ちません。おかあさんが子どもの話をちゃんと聴いてやらなければ、子どもは会話の際にちゃんとした聴き方ができるようになるはずがありません。人の話をちゃんと聴く姿勢をもたない子どもが、学校の授業で成果をあげることができないのは当然のことと言えるでしょう。ですから、ここも基本はおかあさんが手本を示すことに尽きるでしょう。
おかあさんがお子さんの話したい気持ちを尊重し、ていねいに応じたならどうでしょう。子どもは当然おかあさんの言葉にも耳を傾けるようになっていきます。そして、落ち着いて相手によくわかるように話す態度も、少しずつ身につけていくのではないでしょうか。
無論、おかあさんのように上手に滑らかに話すことはできません。しかし、「ちゃんと話したい」という気持ちは十分にもっています。おかあさんがそんな子どもの気持ちを理解し、子どもの言い間違いや言葉足らずな言い方に対して咎め立てせず、「子どもは何を自分に伝えようと思っていたのか」を汲み取って応じてやったなら、それは必ずお子さんの心に大きな作用をもたらします。
ここで、仮に親子の会話が不十分なまま、子どもが小学生時代を終えたときのことを考えてみましょう。子どもが会話の楽しさを知らないで思春期を迎えたなら・・・・・・。親子の会話は、ついにはほとんどなくなってしまうのではないでしょうか。ただでさえ子どもの心は親から離れていく年齢です。このときになって親が話しかけてももはや後の祭り。
「何かあったの?」
「別に・・・・・・」
「どこへ行ってたの?」
「外・・・・・・」
といった具合です。こんな事態は、親として受け入れがたいことですね。
「親が自分の話を一生懸命に聴いてくれる」「おかあさんは、自分の気持ちをよくわかってくれている」――このことは、小学生の子どもにとって例えようもないほどの喜びと安心の気持ちを生み出します。それは、親への信頼と尊敬につながるに相違ありません。また、子どもが得た安心の気持ちは、物事に興味・関心をもつ心のゆとりと無関係ではありません。このゆとりが、ものを知るということへの意欲と行動力を高めることへと発展していきます。親が、わが子との対話を大切にすることで、すばらしいプラスの連鎖が起きるのです。
子どもが小学生のうちは、親次第でどのようにでも変わります。しかし、それも後何年も続くわけではありません。この夏休みをきっかけに、会話を中心に親子の向き合い方を見直してみてはどうでしょうか。子どもの知性開花に向けた、確かな道筋が見えてくるかもしれません。