家庭学習研究社のこだわり

7月 27th, 2009

 家庭学習研究社は、進学塾です。もちろん、学校ではありませんから、純粋な教育の場とは違います。「わが子の受験にあたり、志望する中学校に合格できるだけの学力をつけてほしい」という親御さんの依頼に答えるべく、お子さん方の学習指導にあたるのが私たちの仕事です。

 では、合格という結果を得さえすれば、私たちは親御さんの要請に応えたと言えるのでしょうか。社会的な使命を果たしたのだと、満足してよいのでしょうか。この点に関しては、学習塾それぞれに受け止め方が微妙に違っているのではないかと思います。

 私たちは、「何が何でも合格」「合格のためには、他のことは少々犠牲になっても構わない」などのような考えには賛成しかねます。また、「子どもに苦痛を与えるような学習を強要し、限界まで追い込んで合格させるような学習指導はしない」ということを肝に銘じて指導にあたっています。これに対し、「塾は、合格させるのが仕事じゃないのか」と、おっしゃる方もおられるかもしれません。

 極めて稀な例ですが、「お金を払っているのは親だ。親が“合格”を望んでいるのだから、徹底的に合格優先の指導をすべきではないか」とおっしゃる親御さんもあります。

 しかし、そのような親御さんも、「あとはどうなっても構わない」という意味で、「合格を!」と望んでおられるのではないということも疑いのない事実です。受験は、「わが子の将来」までを見通してのことであろうと思います。中学・高校の6年間は、長い人生の通過点に過ぎません。それを絶対視する人は、そうたくさんはおられないと思います。

 親御さんが冷静になられたとき、「これでよかった」と思っていただけるような学習指導を実践することこそ、中学受験専門塾としての弊社の使命であると私たちは考えています。お子さんが中学受験をめざした結果、勉強への情熱を失ってしまったり、親や大人への信頼の気持ちを失ってしまったりしたのでは、「受験をしなければよかった」という問題ではすまされなくなってしまいます。

 親なら誰でも、わが子の受験勉強が順調さを欠いたときなど、平常心でいられなくなるものです。そのあまり、子どもの健全な成長という視点を見失い、無理にでも合格できるテスト対応力をつけることを学習塾に望みたくなることもあるかもしれません。以前、「受からなければ、何も始まらないじゃないですか!」と、泣きながらおっしゃったおかあさんの話をご紹介しました。このおかあさんも、おそらくそうだったのではないでしょうか。

 しかし、「受からないと何も始まらない」のでしょうか? 私たちは、受かっても先が期待できない状態にするよりは、自分の努力のありかたについて反省し、次なる中学校生活に指針をもって臨む子どもにするほうが、遙かに重要なことだと思うのです。

 無論、私たち家庭学習研究社も進学塾の端くれです。その言葉が言い訳になってはならないということも肝に銘じています。私たちの考える最善の受験対策を実践し、一人でも多くの子どもたちの合格の夢を叶える。弊社のどの校舎においても、そういう思いで指導にあたっています。

 合格は、そこに至るプロセスを大切にしてこそ真の輝きを放つ。――前途ある小学生の受験にとって、このような考えに立った指導こそが必要なものだと家庭学習研究社は考えています。

 冒頭に述べましたように、学習塾は教育をするための機関ではありません。しかし、受験が何のためにあるのかということを掘り下げて捉え直したとき、「教育的視点を失ってはいけない」ということも重要だと思います。子どもたちの前途を見据え、情熱をもって子どもたちの学習指導にあたる。それは、学校であろうと学習塾であろうと絶対に必要なことではないでしょうか。 

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