目のもつ力に改めて驚く話
8月 3rd, 2009
ある中学生の話です(随分昔読んだ本の内容を思い出してご紹介します)。その中学生は、何らかの理由で親不孝にもぐれてしまいました。
その日は、もはや警察の厄介にならざるを得ないことをしてしまい、おかあさんが警察に出向いて説諭を受け、やっと息子さんを家に連れて帰ることができました。そのときのおかあさんの心のうちは、もうここでご説明する必要もないほどであったろうと思います。
さて、家に帰ったおかあさんは、「座りなさい」と言って息子さんを座らせ、応接セットのテーブルごしに向き合いました。親に合わせる顔のない息子さんは、黙ってただうつむいていました。
すると、おかあさんは「顔を上げて、おかあさんの目を見なさい」と、静かに言いました。おそるおそる顔を上げ、おかあさんのほうを見ると、目には涙があふれていました。そして、両頬を伝ってポロ歩ポロと流れ落ちてきました。その涙を見た途端、息子さんはおかあさんの嘆きや悲しみ、そして自分に向けられた愛の深さを知ったのでした。
その息子さんは、この一件を契機に、ガラリと変わりました。そして、勉学にも励むようになり、大人になってから、ある分野において広くその名を知られるほどの人になったそうです。
このおかあさんは、何も口に出して言ったわけではありません。愚痴をこぼすわけでもなし、非難がましいことを言うわけでもなし。息子さんが目の当たりにしたのは、おかあさんの目と涙でした。この二つに込められたものが、刃(やいば)のように息子さんの心にグサリとつつき刺さったのではないでしょうか。
「目は口ほどにものを言う」という言葉がありますが、おかあさんのそれは子どもにとってそれ以上に強い発進力をもっています。
今度は、筆者の体験をご紹介しましょう。あるとき、6年生の授業で「おかあさんは、成績にうるさい」という話題がもちあがりました。子どもたちにとって、切実な話題らしく、そのときは収拾がつかないくらいの騒ぎになりました。そのとき、悲鳴のような声をあげて「聞いてほしい!」と訴えてくる一人の少年がいました。
「この間のテストの結果が、すごく悪かったんだけど、素直におかあさんに見せたんです。そしたら、大喧嘩になってしまったんです」
「えっ、『こんな成績じゃ受からない』などと言われて、頭にきたのかい?」
「ううん、そうじゃなくて、じっと恨みがましい目でボクをにらみつけるから、『なんだよ、言いたいことがあるんだろ。どうせ~』といった感じで文句を言ったら、取っ組み合いになったんです。そのとき、ボクはおかあさんに回し蹴りを食らいました」
それを聞いて、筆者は絶句しました。つい二、三日前、面談でそのおかあさんと話をしたばかりだったのです。
「うちでは、勉強のことで息子に一切口出しをしておりません。先生、うちの子ががんばるよう激励とお導きをお願いします」
確か、そうおっしゃったはずでした。美しく上品な、あのおかあさんが、息子さん相手に回し蹴りとは・・・・・・。
しかし、よく考えてみれば、おかあさんはウソを言われたわけではありません。勉強に口出しをしたり、文句を言ったりしたのではなく、ただ息子さんを見つめただけだったのです。おそらく息子さんにとって、おかあさんの目は、言葉に出されるよりも遙かに訴える力をもっていたのでしょう。
目には、万感の思いを伝える大きな力があります。ここぞというときは、お子さんを向き合い、互いに目を見て、たった一言いえばいいのではないでしょうか。子どもが残念な行為に及んだとき、叱りとばすよりも、眼をしっかり見据えて、「今回のこと、あなたらしくないわね」の一言で、十分すぎるほどお子さんはおかあさんの気持ちを理解し、自分の努力不足を後悔するのではないでしょうか。