親が水を向けた受験を、子ども自身のものにする
8月 20th, 2009
前回書きましたように、小学生の子どもは、まだ自分の将来を展望したり、人生の道筋を見通したりするような思考ができません。学者の研究によると、将来に向けての目標が受験のモチベーションを支えるのは中学生になってからのことだそうです。
したがって、身近な先例を目の当たりにしない限り、子どもから「中学を受験したい」と言い出すことはありません。東京などのような大都市なら、中学受験は一般に浸透し、子どもにもよく知られています。「受験したい」と、子どもの側から意思表示をするケースも数多くあることでしょう。しかし、広島では中学受験はそこまでポピュラーな存在ではありません。多くの場合、中学受験は親が子どもの教育について様々な検討を重ねたうえで決めているのが実状ではないでしょうか。
つまり、子どもにとって中学受験は、準備学習のスタート時点においては「親から水を向けられたもの」です。親に「行ってみなさい」「塾に通うんだよ」などと言われて受験勉強が始まり、子どもは自らの意志に関わらず中学受験生になっていくのです。
ただし、始めはさほど難しくなかった勉強も、最終的には大人ですら簡単には解けないほどの高いレベルへと進んでいきます。いつまでも受け身の気持ちでいたのでは、難しい問題をやりこなすことはできませんし、厳しい入試の関門を突破することはできません。
そこで必要になってくるのは、中学受験を子ども自身のものへと切り替えること。すなわち、子どもにとって中学受験が当面の目標になり、受験する学校があこがれの存在になるよう導いていくことが求められてきます。そうなってこそ、子どもは自己を燃焼させるがごとくがんばり、ラストスパートで一気に合格圏へと突入できるのです。
こうした流れをつくるために、まずもって大切にすべきこと。それは、子どもに勉強の楽しさや醍醐味をたくさん味わわせることだと私たちは考えています。自分の頭で考え、自力で解き明かしたときのうれしさは格別なものです。そういう喜びを数多く経験していくことで、子どもは勉強に対する真の能動性を獲得していきます。こうした指導を徹底させながら、機を見て上手に受験への動機づけをはかっていけばよいのです。そうすれば、子どもはいつの間にか「受験したい」「○○中学へ行きたい」という意識をもち、目の色を変えて勉強に打ち込むようになっていくのです。
前回も書きましたが、こうした子どものゆっくりとした変化を見守るのは大人にとっては辛いことです。大人は子どもの現実と、入試まで残された日数、入学試験の水準などを見比べ、「このままでは合格はおぼつかないのではないか」などと心配してしまいます。しかしながら、ここでしびれを切らし、あれこれ指図して勉強させたり、ハードな勉強へと子どもを追い込んだりしたのでは、それまでの苦労は水の泡と化してしまいます。
子どもが主役の中学受験。子どもの主体的勉強による入試突破。そのことの重要性については、これまで何度も書きました。それを実現するには、ここが辛抱のしどころなのですが、実は子どもの成長曲線の急激な変化が事態を打開してくれます。
小学校の高学年は、精神面の成長が最も著しい時期にあたります。なかなか幼稚な面が抜け切れないでいるように見えたお子さんも、内面では大きな変化の準備を着実に進めているのです。それが表面にはっきりと出てくるのが6年生になってから。最高学年になり、新しいクラスが編成されると、不思議なくらい子どもの表情が変わってきます。体格面でも成長著しい時期にもあたるせいか、教室内の子どもの雰囲気が受験生らしくなり、ちょっぴり大人っぽくなってくるのです。
6年生になると、テスト問題もレベルアップしていきます。指導担当者の提供する話題も入試に関わるものが増えていきます。それに応じて、子どもたちの言うことも変わっていきます。こうした諸々の変化が、子どもの受験に臨む意識を否が応でも高めるのです。
中学受験生としての意識の定まった、この時点がいよいよ本当の意味での受験勉強の始まりかもしれません。子どもたちは、大人に言われ、指示されて勉強するのではなく、自分の行きたい中学校へのあこがれを胸に必死になって勉強し始めます。ここからの勉強は、密度や効果の点で、それまでの数倍にあたるもので、子どもたちは学ぶほどにすばらしい勢いで力をつけていきます。
「もっと早くから必死になってくれれば」と大人は思います。しかし、子どもにしてみれば、その気になるだけの条件が必要なのです。人生経験の浅い子どもたちにとっては、成熟期が訪れるまでの少しずつの体験の積み重ねは、目に見える効果は引き出してくれないものの、大きな意味をもっています。子どもの目の色が変わる日の訪れを信じて、焦らず、辛抱強く、愛情深く応援してあげてくださいね。