子どものけなげさに胸がキュンとなる話

9月 10th, 2009

 以前、私たちの学習塾では心理療法の専門家を講師に招き、中学受験生をもつおかあさんがたの精神衛生の維持を目的とした講座を設けたことがあります。中学受験生のおかあさんは年齢的にもまだ若く、子どもの受験生活のサポートにおいてもストレスが溜まり易いということを配慮してのことです。

 毎回の講座は予め提示されたテーマに即して行われ、終了後には家庭で取り組む課題が先生から出されました。

 ある回の家庭課題は、「自分にとっての理想の母親像とはどのようなものか」をそれぞれに考え、箇条書きにしてくるというものでした。この課題について、次の講座の開始時におかあさんがた一人ひとりが簡単な報告をされたのですが、そのときに大変印象に残る話をされたかたがありました。

 以下は、そのおかあさんの報告の内容を簡単にまとめてご紹介したものです。

 理想の母親像とはどういうものかについて、家に帰ってから自分なりにいろいろ考えて書いてみました。そうしたら、うっかりその紙を食卓の上に置き忘れてしまったんです。それを息子がたまたま見つけて読んだらしいんですね。

 ある日、塾へ車で送っていくとき、
「おかあさん、立派なおかあさんになろうといろいろ書いてくれているけど、ボクはおかあさんが優しいだけで十分だよ」
と言われてしまいました。

 胸を突かれる思いがしました。日頃何かと子どもを叱ってしまう自分を振り返り、「これではいけない」と反省させられました。それで、優しい母親になろうとしばらくはがんばったのですが、長くは続きませんでした。理想の母親になろうとすることでストレスが溜まったのでしょうか。ある日とうとう息子に感情をぶつけてしまいました。そうしたら、息子が今度はこう言いました。
「おかあさん、思ったことを我慢せず、言ってくれていいんだよ。そのほうがボクも我慢せずにすむからね」
……。

 この話をしているおかあさんは途中で涙ぐみ、ハンカチを手にされていましたが、いつしか聞いているおかあさんがたの大半がもらい泣きし、一緒に泣いておられました。

 おそらく、ほとんどのおかあさんにとってこの話は人ごとではなかったのでしょう。子どもには優しい母親でありたいと誰しも思っています。しかし、おかあさんも一人の人間です。忙しいときや辛いことがあったときには怒りっぽくもなります。子どもも、いつもいい子ではいてくれません。そんなこんなで、気がつけば感情露わに子どもを叱りつけてしまうこともあるのです。どなたにも経験があるからこそ、また誰だってわが子がかわいいからこそ、この話は身につまされるものだったのだと思います。

 家族は誰よりも大切な存在です。だからこそ、気持ちがつながり、揉め事がないようにしたいと誰しも思います。しかしながら、家族だからこその甘えも同時にあります。外では我慢するようなことも、家族に対しては我慢できないことも多々あるものです。それは、親にも子どもにも言えることではないでしょうか。

 そのとき、講師の先生は「理想の母親とは、完璧な思いやりを子どもに示すことではないと思います。家族生活は毎日の営みです。自然な状態を続けるほうがいいんですね。ですから、無理のない範囲で思いやるほうが、幸せにつながるのではないでしょうか」と言っておられました。

 この話を聞いていて、「いい親子関係というのは、互いに完璧をめざすことからできるものではなく、互いの気持ちを分かり合うことからできあがっていくものなのだ」ということを、改めて実感した次第です。

 親として理想を追求することは大切でしょうが、無理をしても長くは続けられません。自然体で互いに接し、叱るべきときには親は叱り、子どもも納得できないときには反抗したっていいのです。感情を抑えずに接することの許される家族という存在は、ほんとうにありがたいものですね。

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