中学受験が与えてくれる宝物 ~その2~
1月 18th, 2010
前回に引き続き、中学受験のよさについて私たちの考えをお伝えします。
中学受験を、合格のための手段と割り切ってしまうか、子どもの善き成長の場となるよう配慮するかで、得られるものも随分変わってきます。それは、日常体験が人間としての成長に深く関わる小学生の受験であるからに他なりません。受験は子どもにとって楽ではないけれども、やり方次第では「合格」以外にも掛け替えのない収穫をもたらせてくれるのです。
4) 様々な角度から考え解決していく、洗練された頭脳が育つ。
中学受験対策の勉強は無味乾燥かというと、決してそんなことはありません。もともと、小学校課程の学習は、先々の学問的発展のベースになるものです。それを深め、より高い次元で問う中学受験対策の課題には、学力レベルの高い小学生の知的好奇心を喚起する要素がたくさんあるのです。
たとえば算数。算数の醍醐味は、方程式などを用いることなく、着想の切り口を見出し、思考の道筋をたどっていきながら仕掛けられたバリアを突破していくところにあります。前回、休憩時間に我を忘れて算数の難問に挑戦している子どもの様子をご紹介しましたが、彼らは一朝一夕にそうなったのではありません。原理原則を学んだ後、同じような問題に何度も出会ったり、先生の説明や友だちの意外な考えを聞いたりしているうちに、算数の面白さ、奥深さに魅入られていったのです。
授業中、大事な着眼点が見つかったときには、「あっ、そうか!」と、子どもたちの声があがることが幾度となくあります。このとき、まさに子どもの思考のステージが一段階上がったのだと言えるでしょう。中学受験のための勉強とは、進学の夢を叶えるための手段にとどまらず、子どもの知的ポテンシャルを大きく伸ばすための、媒介の役割を果たしてくれるものなのです。
5) 親の価値観をわが子に浸透させる、格好の場にできる。
中学を受験するのは、子育ての最中にある小学生です。そのことは、躾面の配慮なしに受験生活を乗り切ることなどできないということを意味するでしょう。私たちは、このプロセスを「躾の仕上げ」という観点からむしろ積極的に活かすべきだと考えています。
何のために受験するのか。親はどんな取り組みを期待しているのか。どんな人間に成長してほしいのか。こうした親の思いを、受験という大きな目標に向けてがんばらせながらわが子に伝えてやるのです。以前、こんなおとうさんがおられました。「娘が大きくなるにつれ、心を割って話し合うのが難しくなりました。会話の糸口も、なかなか見つからないほどです。それが、娘の受験をきっかけに大きく変わりました。勉強で悩んでいるときには相談に乗ってやれるし、折にふれて様々な声かけをしてやれるんです。受験にはこんな副産物もあるのですね」――このように、子どもにとっては自分の可能性を追求する場、親にとってはわが子に親の価値観や期待を伝える絶好の場にできる。それが、中学受験のすばらしいところではないでしょうか。
6) 受験勉強と他との両立のプロセスが、子どもを鍛える。
受験勉強は、毎日の積み重ねです。他のやりたいこと、疎かにできないこととの兼ね合いも考えなくてはなりません。また、子どもには小学生としての生活があります。学校生活との両立も考慮しなければなりません。これらで悩み、苦労するお子さんもいることでしょう。
しかし、制約の中で時間をやりくりし、受験に臨むこと自体に大きな意義があります。学校を尊重し大切にするのは当然のことながら、自分がこだわりたい趣味やスポーツなどと折り合いをつけながら受験勉強をするのは、小学生には大変なことでしょう。また、日々限られた時間枠で、「何から手をつけ、何を済ましておくべきか」を絶えず考えなければなりません。
しかし、それが子どもを成長させるのです。実際、最後までピアノやサッカーに打ち込みながら受験勉強をやり抜き、第一志望校に合格する子どもは毎年いるのです。このような子どもは、受験勉強一色で合格した子どもと比べ、人間としても一目置くところをもっているように思います。受験との兼ね合いで迷っても、それを成長の場に転換するという発想をしたことが、かえってよい結果をもたらすケースも少なくないのです。