わが子が“幼稚なタイプ”とわかったとき

2月 1st, 2010

 親はわが子のことをよくわかっているつもりでいるものです。しかしながら、年齢相応の知的発達度がどういうものであるか、それに対してわが子がどういう状態にあるかを掌握している人はごくわずかです。そこで、受験生活がスタートして初めてわが子の現実に気づき、大慌てになるおとうさんおかあさんは珍しくありません。

 その最たる例が、「うちの子は、考え方が幼稚で国語がサッパリできないことがわかった」というものです。こういうお子さんは、国語ができないだけでなく、算数の文章問題の出題意図などの読み取りも苦手としますから、親が慌てるのも無理はありません。

 一つ、具体的な事例をご紹介しましょう。ずいぶん前ですが、ある作家が、自分の子どもの中学受験までのプロセスを一冊の本にしたところ、評判になりました。以下は、その一部をご紹介したものです(スペースの都合で、途中を随分省略しています)。

 次男が小学校4年生の時のことだ。妻は庭の隅にマナ板を出して、日光で消毒していた。次男がそのマナ板に気づき、
「ほら、あそこに、木の板がある」
と言った。私はいやな予感を覚えた。どうも、冗談を言っているわけではないようだ。庭に出て、その「木の板」を手に取り、息子に向かって尋ねた。
「これは何だ」
「ええっと、それ、食べ物を切る台でしょ」
仕方がないので、私は息子に目の前のその「木の板」をつきつけながら
「これはマナ板というものだ」
と教えた。

「ああ、マナ板か」
と息子がいくぶん悔しそうに答えたので、知っているのに度忘れで答えられなかったのだろう、とその時は思った。だが、念のためということもある。妻が帰って夕食の支度を始めた時、私は次男を呼び、もう一度マナ板を指さしながら、これは何だ、と尋ねてみた。すると次男は答えた。
「まご……いた……」
これには妻も腰を抜かしてしまった。

 これ以後、私たちは次男のことを「まごいた少年」と呼ぶようになった。笑いごとではない。私は、次男が生まれてから現在に至るまでの、自分の態度を反省した。極端な言葉の遅れと、意外性のある計算能力を面白がるばかりで、何の対策も立てなかった結果が、この「まごいた」事件になって現れたのだ。

 この場面より後には、息子さんの国語力を立て直すべく、この作家が悪戦苦闘している様子がユーモアたっぷりに書かれていました。実際、大変であったろうと思います。

 筆者にも似たような経験がたくさんあります。たとえば、理系の頭脳は大変優れているのに、国語がサッパリできない女のお子さんがいました。ノートに登場人物を列挙させたところ、文章には登場していない「おはち」という、物語のシチュエーションにそぐわない時代がかった名前を書いています。どうしてこんな間違いをしたのか調べてみると、「今度は次のグループにおはちが回ってきた」という表現を理解できず、「おはち」を人名と勘違いしていたのでした。

 さて、さきほどの作家の場合、国語力を巻き返すのに2年間が残されていました。そうして、さまざまな試みをした結果、「大人が普通に会話などで使っている言葉の知識を獲得することこそが、中学入試突破の決め手になるのだ」というような結論に到達したそうです。

 残念ながら、筆者が指導していた女の子は6年生でした。また、当時は筆者も経験不足であり、あれこれと試すものの効果が得られないまま、入試を迎えてしまったことを思い出します(幸い、その女の子は総合力で志望校の一つに受かりました)。

 子どもの言葉と思考の発達度から生じる諸々の問題は、おそらくおびただしい数の中学受験生家庭で繰り返されていることであろうと思います。近いうちにこの問題への対処について書いてみようと思います。ただし、4年生が子どもの語彙が爆発的に延びる時期であることは、すでに何度も書きました。そこでの内容との繰り返しになるかもしれませんが、もし興味をおもちになったら読んでみてください。

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