日本の親は子どもに「価値観」を教えているか ~その2~
2月 18th, 2010
前回は、「親がわが子にどの程度関わっているか」に関する国際比較調査の結果をご紹介しました。
その結果、わが国の親は父親も母親も、同じ内容について調査したアメリカやトルコの親と比べ、親の関わりが少ないことがわかりました。
たとえば、子どもに口出しをしないというのは、どうやら日本の親に多く見られる傾向のようです。ある大学の先生は、幼い子どもが触ってはいけないオモチャに触ったとき、どのように制止するかについて、日本とアメリカの母親とを比較観察したそうです。アメリカの母親は、子どもの体を押さえたり、腕をつかんだり、大声を出したりして、ともかく子どもをオモチャから引き離すための行動をとっていました。
日本の母親に多く見られたのは、子どもが言うことを聞かないとあきらめてそのままにして見ていたり、止めようとしても子どもに抵抗されるとあきらめたりするといったタイプでした。
一概に日本の母親のようなタイプが悪いとは言えないかもしれません。しかし、こういう接し方をすると、子どものわがままに巻かれることになりがちです。ここではオモチャを放さないというわがままでしたが、もっと大きくなって、「勉強なんかしたくない」と、言うことを聞かなくなったとき、親に打つ手がなくなってしまうかもしれません。
今回ご紹介した調査では、子どもから見て親が怖いかどうかについても調べたそうです。まず父親ですが、「そうだ」「かなりそうだ」と答えた子どもは、トルコが47.5%、アメリカが29.5%、日本が21.8%でした。母親について、「そうだ」「かなりそうだ」と答えた子どもは、トルコが34.1%、アメリカが21.9%、日本が18.3%でした。
父親と母親、どちらも日本では「怖くない」と子どもに思われているようですね。ただそれだけならいいのですが、前回ご紹介した調査結果を見ると「日本の父親は子育てに参加していない」と言われても仕方のない状態にあります。父親の存在感が希薄な日本の家庭で育った子どもが、将来どんな人間に育つのかと思うと不安になってしまいます。強い父親のモデルを知らない男の子が、父親になったときにどうするのでしょうか。父性のもつ役割を知らない女の子が、やがて結構して母親になるとき、パートナーに父親としての何を求めたらよいのでしょうか。
トルコは、昔の日本の家父長的な家族制度が残っている国で、父親は絶対的な存在です。しかし、だからといってただ「怖い」のではないようです。今回はご紹介していませんが、トルコの子どもは、「父親を尊敬する」という子どもが圧倒的に多いのです。父親が怖くて尊敬できる大きな存在であるということは、子どもの行動規範を育てるうえで大変重要なことのように思います。
アメリカの子育ての特徴として、「子どもに相談する」という形式を採っているということがあげられることを、前回お伝えしました。このようなスタイルの子育ては、子どもに「自分は一人前の人間として扱われている」という意識をもたせます。それが、子どものプライドや自立心を育てる効果を引き出すであろうことは想像に難くありません。トルコのように威厳のある父親像ではないけれども、子どもとのコミュニケーションを積極的にとることで、アメリカの父親はその役割を果たしているようです。
子どもに口出しもせず、相談もせず、教えることもしない日本の親たち。子どもは生きていくうえでの指針や価値観をどこで学んだらよいのでしょうか。同じ調査において、日本の子どもは性などの非行に甘い、大人の言うことを聞かない、努力や我慢が嫌いなどの傾向が見られたそうですが、親が子どもに関わろうとしない日本の親の子育てが招いた結果と言えるでしょう。
ただし、日本人の子育ては「長い期間をかけてていねいに手厚く子どもを育てる」という意味において、大いに誇れる点が多々あります。アメリカの個人主義は、親の楽しみ優先、無責任な家庭生活にもつながっており、それがアメリカの少年非行の多さの一因であるという指摘もあります。また、トルコはトルコで古い制度やしきたりなどが近代化の足かせになり、子どもたちの夢見る豊かで快適な生活が実現できないでいます。
これをお読みになっている方々の多くは、小学生の親御さんであろうと思います。これをきっかけに、親として子どもにどう接するべきかを捉え直してみてはいかがでしょうか。