子どもを“籠の中のネズミ”にしない

3月 8th, 2010

 筆者は長年中学受験指導の現場に立ち、子どもたちの受験生活、受験勉強を応援し見守ってきました。この間、学校教育ではゆとり教育の推進、ゆとり教育への反対運動を発端に起こった学力低下論争、ゆとり教育の修正と、公教育も随分揺れ動いてきました。

 学習塾にいる私たちは、公教育の舵取りについて何ら権限をもたない“お気楽な”立場にありますが、傍目で見ていても、今日の社会で公教育の路線を一本化することがいかに困難かを思い知ることになりました。

 ただし、公教育の変遷や混乱は、社会の変化、ライフスタイルの変化、家庭教育の変化など、子どもを取り巻く環境の変化に根ざしています。ですから、子どもの学力低下も、国の教育に関する施策の是非を云々する以前に、顕在化することが避けられない問題であったように思います。

 有名な学者の本に、次のような著述がありました。

 実験動物は、生まれたときから籠の中で、水と飼料を十二分に与えられて育つ。籠の外に出すと、恐る恐る歩いて、逃げ出したりはしない。置かれた机の端をヒゲで触って、どんなところかゆっくり調べているつもりらしい。籠の中という環境は、自然の状況に比較したら、極めて単調である。そこでは動物は、生まれ持った能力のほとんどを使う必要がない。いまでは大学で出合う若者たちが、こうしたマウスやペットに見える。

 だからといって、日本の将来を悲観しているわけではない。そうした育ちのネズミが籠から出てしまうことがあった。一週間もすると野生化して、簡単には捕まらなくなる。

 当時の大学は、いまとは比較にならないほど管理も悪く、建物もボロだった。野良猫が自由に出入りしていたり、廊下をクマネズミが歩いていたりした。そういう環境に放された籠のネズミは、あっという間に野生化する。水と餌とねぐらを、自分で探さねばならない。周囲は危険に満ちている。そういう状況に置かれたとたん、籠育ちのネズミが急速に育つ。

 いま教育問題がやかましい。子どもの評価のなんとかとか、指導要領のなんとかとか、教育の問題を議論する会合に年中呼び出される。教育の根本は何かというなら、話は簡単である。水とねぐら、それを自分で探すようにさせる。そうすれば、あっという間に子どもは育つ。以上終わり。

 現代社会では、かつてのネズミにとっての大学の廊下、その程度の緊張感のある環境もない。安全快適、どこにも危険など見えない。親があえて子どもを放したって、社会環境が安全第一だから同じことである(一部省略)。

 籠の中のネズミを教育しようと思っても、相手が教育を受ける動機を持たないのだから、気合いの入れようがない。水も、ねぐらも、とりあえずある。それ以上に、何が必要だというのか。

 20年前と比べて子どもの変化を顕著に感じることがあります。たとえば、「子どもが幼くなってきた」ことや、「子どもの学習意欲が相対的に下がってきている」ことを実感しますが、これらも上記のようなわが国の現実を裏づけることなのでしょう。

 さて、これをお読みになった親御さんは、わが子の中学受験勉強のありかたについてどのような見解をおもちでしょうか。中学受験専門塾としての弊社は、40年あまり前の設立当初より「積極的学習姿勢の育成」「自学自習の姿勢の確立」を指導の方針として掲げてきました。そして、そういう受験勉強の大切さがますます必要な世の中になっているように思います。

「子どもを温室育ちにしてはいけない」、「過保護・過干渉は子どもをスポイルする」などという言葉が、以前から子どもの教育について語られています。将来高い次元の学力を養い、社会で活躍することを嘱望される子どもが、大人の指示や手助けに頼った受験対策をしたのでは、いつまでも人間としての主体性を備えることはできませんし、自らを律する術(すべ)を身につけることはできません。これでは身につけた学歴も意味をなさなくなってしまいます。

 中学受験においては、受験生は小学生ですから大人のサポートは不可欠ですが、くれぐれも子どもの自立にブレーキをかけないように注意したいものです。子どもの学習意欲があがらない。そのことを嘆くご家庭の問題点を突き詰めると、原因は意外にも子どもに接する親や周囲の大人にあるかもしれません。

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