子どもにレッテルを貼らない
4月 1st, 2010
以前、子どもをほめることの必要性について書いたことがあります。子どもに自信をもたせ、何ごとにつけ意欲をもって行動する人間に育てるためには、まず子どもをほめ、子どもに「自分はOKである」という気持ちをもたせる必要性があるからです。このことについては、どなたも心得ておられることでしょう。
ただし、ほめるにあたってはよいほめ方もあれば悪いほめ方もあります。たとえば、子どもをほめるにしても「いい子」「頭のよい子」「立派な子」などのように、子どもにレッテルを貼るほめ方はよくないと言われています。 なぜでしょうか。ある本に次のようなことが書かれていました。
「そうした言葉は不安を生み、子どもを防衛的にさせる。また自主性や自信を育むことにもつながらない。なぜなら、自主性や自信は他者の判断によってではなく、内的な動機や評価によって育まれるものだからだ。(中略)子どもは評価を下す賞賛のプレッシャーから自由でなければならない。さもないと、子どもは他者からの承認を必要とする存在になってしまう」
具体的な例をあげて考えてみましょう。たとえば、わが子が近所の小さな子を助けてあげたとします。父親がそのことを知り、「おまえはほんとうに親切な男の子だ。おとうさんは誇らしいよ」と言ったなら、わが子はそれをどう受け止めるでしょうか。
無論、素直に喜ぶ子どももいるでしょう。しかし、その子がもし「自分は自分勝手で冷たい人間だ」と常日頃気に病んでおり、その日に限ってたまたま他の子を助けただけだったらどうでしょう。「ボクは、おとうさんにほめられるような親切な人間じゃない」と反発したくなるかもしれません。
また、ほめられたことで「いつも親切にしなければならない」というプレッシャーを感じる子もいるでしょう。さらには、「人には親切にして、親にほめられるようにしよう」と、親の評価を気にするようになるかもしれません。そうなってしまうと、親がほめたことがかえって子どもにとってマイナスに作用してしまいます。
小学生のお子さんをもつおかあさんを対象としたワークショップで、「よいほめ方と悪いほめ方」をテーマに掲げて共に考えていただいたことがあります。そのとき、あるおかあさんが「うちの主人は、子どもがテストでいい成績をとってくると、『さすが俺の子だ!』ってほめるんですけど、あれもよくないんでしょうか」と尋ねてこられました。
これは、どの家でもありそうなことですね。このブログをお読みになったかたはどう思われるでしょうか。おとうさんのお気持ちはよくわかります。しかし、もしも成績がよくなかったときにはどうされるのでしょうか。「やっぱり俺の子だな」とはおっしゃらないと思います。また、自分のためではなく親を喜ばせるために勉強するといったような本末転倒の事態の引き金になるかもしれません。ですから、やはりこういうほめかたは望ましいとは言えません。 では、望ましいほめ方とはどのようなものでしょうか。ほめること自体は非常に大切なことです。しかし、そこに重要なルールがあるということを認識していただきたいと思います。どういうことかというと、ほめるべきは子どもの努力や行為であり、子どもの人格や人間性ではないということです。先ほどの話に照らすなら、わが子が親切にした行為をほめるのなら、子どもは素直に喜ぶでしょう。「僕は親切な人間なんかじゃない」と戸惑ったり反発したりすることはありません。
筆者がファシリテーターの資格を取得した、民間教育運動(アメリカで発足し、現在世界80カ国以上に広まっている。日本ではNPO法人として活動)でも同様のほめ方・叱り方が推奨されています。子どもにレッテルを貼る代わりに、行動に対して名前をつけることが適切だというのです。「行動に対して名前をつける」とは、子どもに「よい子」などというレッテルを貼る代わりに、よい行動を具体的に指摘し、子どものしたその行為をほめるということであろうと思います。
ただし、子どもをどういう言葉でほめたらよいかについては、実際場面に即して考えてみないことにはピンとこないかもしれません。そこで次回は、具体的場面を想定し、レッテルを貼るほめ方と、行為を取り出してほめるやり方とを比較し、上手なほめ方のエクササイズに挑戦してみたいと思います。よろしかったら一緒にやってみませんか?