国語がすべての教科の学習を支える
4月 30th, 2010
7~8年前、あるいはもっと前だったかもしれません。某テレビ局の「視点・論点」という番組を見ていたところ、有名な国語学者のO氏(故人・元学習院大学名誉教授)が子どもの学力低下について興味深いことを述べておられました。簡単にご説明すると、「算数のできない子どもが増えているが、その原因は算数の能力不足によるものではない。子どもの国語力が落ちたためだ。たとえば、文章題を読んでも、その意味するところ、すなわち出題のシチュエーションを理解できないから答えを導き出すための式が見出せない。学力不足のおおもとは、国語力低下にある。僅か数行の文章題の意味するところを理解できないほど、日本の子どもたちの国語力は危機的な状況にある……」といったような内容だったと思います。
これについて、みなさんはどう思われるでしょうか。算数学力には、様々な要素があります。この番組を見ていた当時の筆者には、やや唐突で乱暴な見解のように思えました。しかしながら、よく考えてみると思い当たるふしがあります。
ある年のこと、保護者の方からこんな電話がありました。「おたくの4年部に子どもを入れようと思ったのですが、何回入会試験を受けても受かりません。1年間必死で勉強をさせて、今度こそ5年部に入れてもらえるかと期待していたのに、また不合格でした。どこに問題があるんでしょうか」
そこで、そのお子さんの入会試験の答案用紙を探し出し、調べてみました。すると、正解を得ている問題と、正解を得られなかった問題とにはっきりとした傾向が見つかりました。たとえば算数。計算問題は、基本的なものからかなり複雑なものまで、ほとんどの問題ができています。その一方で、自分で計算式をつくらなければならない問題や、答えを引き出す前にもう一つ解決しなければならないものがあるような、少し複雑な問題になるとほとんどできていません。
たとえば、「砂糖が入っている入れ物があります。砂糖と入れ物の重さは、合わせて○○グラムです。今、○○グラム砂糖を使いました。砂糖は何グラム残っていますか。入れ物の重さは○○グラムです」といったような問題がありました。
そのお子さんの答えの欄には、なんと「10,000グラム」と書き込まれていました。
答えを導く計算式がどうであるかを言う前に、この答えの数字に驚きました。砂糖がどんなものかを考えれば、到底出てこない答えです。また、使った後の砂糖がとてつもなく重くなっていることにも疑問をもたなかったのでしょうか。それを変だと思わず、機械的に答えているのに驚かされました。
おそらくそのお子さんは、問題文に出てくる数字それぞれの意味が、具体的状況でイメージできていないのでしょう。「入れ物と合わせて○○グラム。そのうち○○グラム使ったら……」といった数のやりとりを、頭の中で組み立てることができなかったのです。
さらに、そのお子さんの国語の答案を見て驚きました。漢字はほとんど合っている一方で、国語らしい問題、すなわち文章の内容把握や、人物の心理を推測する類(たぐい)の問題ができていません。選択肢でなく、語句や文で答える場合の出来映えは悲惨な状態でした。
次第にお子さんの実態がわかってきました。おそらく、このお子さんのおかあさんは、計算や漢字などの機械的習練を「勉強」とはき違え、そういうものばかりやらせていたのでしょう。無論、それらも勉強の一要素です。しかし、もっと大事なのは、文字という記号を思考やコミュニケーションの手段として自らに取り込むこと、数字という記号に託す意味を場面に合わせて理解できることです。言い換えると、実場面を記号によって抽象する力、抽象化された情報から具体物を抽出する力を磨き上げるプロセスこそが重要な学習なのです。残念ながら、そのお子さんは今後も入会試験には受かることはないでしょう。問題は、それよりも遙か以前のところにあるのですから。
こうした意味において、先ほどの学者の指摘は的を射ているのではないでしょうか。活字から得られる情報だけを頼りに問題設定場面を組み立てる。それができなければ、文章題は解けません。
日本で生まれ育ち、日本語を使って暮らしているのだから、日本語の習得に問題があるはずがないと思いがちです。しかし、先ほどのお子さんのように、活字で得た情報をもとに場面を思い描く力、すなわちイメージングの力を欠いているお子さんは意外に多いのかもしれませんね。算数の能力や技能を云々する以前の国語のレベルでつまずくことは大いに考えられることだからです。
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編集部より
これより弊社はゴールデンウィーク期間に入りますので、次回のブログの更新は5月10日(月)となります。よろしくお願いいたします。