子どものほほえましい間違いをどう受け取る?
5月 27th, 2010
国語の学習指導の一環として、多くの指導担当者は子どもにノートを提出させています。家庭での地道な取り組みの積み重ねが国語力をつけるうえで欠かせませんし、上手なノートのまとめかたを指導することで、学習効果を高めることができるからです。
ノートを見る限り、どの子どもも熱心に勉強しています。「ああ、これだけのノートにするには相当時間がかかっているぞ」と、感心することもしょっちゅうです。ほんとうに子どもたちはよく勉強しています。
ところが、どんなに一生懸命勉強しても、それが空回りしているのか、なかなか成績に進歩が見られない子どもも少なくありません。そういう子どものノートを見ると、かわいらしい間違い、勘違いがたくさんあり、思わずほほえんでしまいますが、同時に「こんな状態を抜け出すにはどう導いてあげればよいのか」と、頭を抱えてしまいます。
たとえば、文章中の「ギブ・アンド・テイク」の意味調べをした子どもが、その意味を「途中であきらめること」と書いていました。「えっ、どういうことだろう」と一瞬不思議に思いましたが、すぐさま、「ギブ・アップ」を引いたのだということに気づきました。「ギブ」から辞書をめくって探すうちに、「ギブ・アップ」のほうが先に目につき、それと取り違えってしまったのでしょう。それにしても、文脈から「変だ」と思わなかったのでしょうか。
意味の取り違えは、小学生の子どもにはたくさん見られます。「くいる(悔いる)」を辞書で調べた子どもが、その意味を「頭がおかしくなること」と書いていました。これは「くるう(狂う)」と勘違いしたのですね。「目がこえている」という言葉の意味をノートに書いていた子どもがいましたが、「目がふくれること」とありました。これは、どうやって調べたのでしょうか。「うーん・・・・・・」と、思わず唸ってしまいました。
物語の文章中の子どものセリフに、「かしてよ」というのがあり、その部分が漢字の書き取り問題の対象となっていました。ある6年生の男の子は、答えを「借してよ」と誤答していました。おそらく、借りる立場に立って考えたのでしょう。だから、「貸してよ」でなく「借してよ」となったのです。相手に「貸す」という行為を依頼しているという発想に至らなかったための間違いですね。
「おかあさんは腕のよいビヨウシです」のカタカナを漢字に改める問題では、「病死」と答えている子どもがいました。授業中、思わずその子どもに「こら!勝手におかあさんを殺しちゃ、イカン!」と叱りました。もちろんにっこり笑って。また、「フロク」を漢字に直す書き取りでは「袋」という誤答もありました。
子どもの語彙は、大人のそれの何分の一かぐらいのもの。貧しい語彙を頭に置いて文章を読むのですから、似たような全く違う言葉ととらえ違いをすることがよくあります。また、読み進めながら同時並行して自分の語彙と照合して意味を想像する脳機能が十分に発達していないことも、原因の一つかもしれません。
もしもわが子がこうした間違いをしでかしたとしたらどうでしょう。「ほほえましい間違いだ」とにっこりしていられるでしょうか。なかには歯ぎしりする思いで、「いったいどうなっているの!」「何でこんな間違いをするの!」と叱ってしまうおかあさんもおられるのではないでしょうか。
こういう間違いは、決して能力のせいではありません。事実、今挙げた間違いのうちのいくつかは、トップクラスの成績を上げていたお子さんによるものでした。ただし、国語だけは苦手にしていた点で共通していました。
筆者ならずとも気づくことでしょうが、これはどうやら子どもの内面の発達、思考レベルの発達の問題のようです。まだ大人のようにたくさんの語彙をもたないため、たくさんある語彙のなかから適切な意味を推測する大人のような思考ができません。また、言葉そのものの意味が抽象的である場合、より子どもにとっては理解困難になります。
この問題を解決するにはどうしたらよいでしょうか。それについては、現在全校舎で実施している「おかあさん塾」(4・5年部)の第3回でお話しする予定です。この記事について興味をおもちになった方は、行事終了後に内容をかいつまんでご報告いたしますので、それをお読みください。。