なぜ日本の子どもの自己評価は低いの? ~その1~

6月 17th, 2010

 先日、日本の子どもの自己評価が他国のそれと比べて低いということについて書きました。この記事は、いつもよりもたくさんの方にお読みいただいたようです。そこで再び取り上げ、もう少し掘り下げて考えてみることにしました。

 日本の子どもの自己評価が低いという調査結果は、いろいろな方面から指摘されています。下の表を見てください。先日ご紹介した資料とは違うものですが、やはり同じような結果になっているようです。勉強について、「とても得意」「かなり得意」と答えた子ども(調査対象学年:小学5年生、標本数は不明)は、サンパウロの子どもが72%、ミルウォーキーの子どもが71.1%であるのに対し、日本の子どもは21.6%に過ぎません。

成績の自己評価(小学5年生)

 なぜ日本の子どもの自己評価が低いのかは、データからだけでは特定できません。そこで調査に関わった日本の学者は、他の調査対象国に出向き、学校の授業を見たり実際の学力の状態を調べたりしたそうです。すると、意外な事実が判明しました。「調査結果」と、「実際の学力」が逆の関係になっていたのです。

 学力の自己評価が低い東京の子どもは、概ね授業をしっかりと聴き理解していました。ところが、アメリカの教室では、自己評価が高い割には授業を理解できていない子どもが数多く見られたのです。その一方で、計算に悪戦苦闘している子どもでも、「算数は得意?」と尋ねられると、「うん、得意」と答えていたそうです。また、自己評価が高い国では、わからないことを苦にしたり、学力の状態を卑下したりする子どもが総じて少ないという傾向がありました。また、学力的にさほどでなくても「勉強は得意だ」と答える子どもが多かったそうです。

 どうやら外国では、学力が客観的に高いかどうかに関わらず、取り組んでいること自体に子どもが誇りをもち、「自分は算数が得意」などの気持ちを抱く傾向があるようです。日本ではそうではありません。よい成績をあげていても、「もっと上の子がいる」というふうに他者と比較し、「自分はまだまだダメだ」と思ってしまう傾向があるのではないでしょうか。その結果、勉強をできるということが、自己評価に繋がらないのです。

 「自己評価が少々低くても、勉強ができればそれでいいのではないか」と思う人もおられるかもしれません。しかし、自己評価が低いと、ものごとに取り組む際のエネルギーが高まってくれません。また、何かを「何が何でもやり遂げるのだ」という決断力や実行力がわきあがってきません。さらには、自己評価が低い人間に、周りを引っ張っていくリーダーシップが備わるとは思えません。

 そこに日本の子どもの弱点があるように思います。客観的には「勉強のできない子」でも、本人は取り組んでいることに誇りを抱き、「自分はできる!」という自信をもっている。そういう子どもは、やがて大学に進学して自分が掘り下げて学びたい対象が絞られてくると、すばらしい勢いで学び始めます。

 アメリカやヨーロッパの学生は、「よく学ぶ」と言われます。それは、前述のような流れがあるからではないでしょうか。大学に入ると安心して遊び始める日本人とは対照的です。

 以前、次のような話をご紹介しました。

 ヨーロッパで催された会議に出席した日本人が、かつて日本に留学した経験をもつ外国人に、「日本は追い抜くのがたやすい国だ」と言われたそうです。理由は、大学生が全然勉強していないからだそうです。ヨーロッパでは、学生が図書館などで一生懸命勉強します。そういう事実を知っている人が、日本の大学生を見たらビックリするとともにあきれてしまうのでしょう。そういう人から見ると、「日本は終わった国」に見えるようです。

 日本の子どもは、よい大学へ進学すること自体が目的化し、そこまでの競争が厳しいため、よく学びます。その代わり、「もっと上をめざせ」と常に尻を叩かれるため、いつまで経っても自分に自信がもてないのではないでしょうか。そして、ひとまず「よい大学」と言われるところに入れたなら、そこで終わってしまうのではないかと思われます。(以下、次回へ続く)

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