食べることに満ち足りた今日の子どもの悲しさ

7月 12th, 2010

 前回、子どもの無気力化や勉強離れの原因として、子どもを刹那的快楽へと走らせる諸々の要因、とりわけインターネットやコンピュータを介した遊びの問題点について書きました。それを書いていると、子どもが熱心に学ぼうとしなくなったもう一つの原因が頭をよぎってきました。そこで、今度はそのことについて書いてみようと思います。

 子どもが学びから遠ざかる原因の一つに、「将来に馳せる夢をもちにくい時代になった」ということも教育関係者からしばしば指摘されていることです。幼稚園児や小学校低学年の子どもが、無邪気に「野球選手になりたい」「プロのサッカー選手になりたい」などと、将来の夢を口にするのは、昔も今も変わらないと思います。しかし、もう少し大きくなって世間的常識を備えてくると、いつの間にか将来に馳せる夢を語る姿は見られなくなってしまいます。

 有名な解剖学者のY氏の著作に、「かつては食べるものを確保し、命を維持することが人間の願望だった。しかし、わが国の現実はどうか。今やホームレスの人たちにすら糖尿病患者がいるくらいで、食べるものがなくて飢え死にするような人間は一人もいない」といったようなことが書かれていたのを思い出します。

 食べること、命の安全を確保することがかつては人間の生きる目的だったのです。しかも、それはそう昔のことではありません。日本でいえば、僅か60年余り前までは、そういった状況だったのです。ところが、今では安全で便利な暮らし、おいしいものをふんだんに食べられる暮らしをほとんどの人間が手に入れています。

 また、そういう基本的欲求を満たしたうえで、今の子どもには目先の楽しさを味わわせる様々な遊びが氾濫し、一生懸命に何かを知ろうと取り組んだり、何かの目的を達成するために長い間苦労してものごとを学びとったりするようなことをしなくなっています。今の若者に、「とりあえず、今そこそこ快適で楽しい生活ができればいい」――そういった風潮を強く感じますが、原因は同じであろうと思います。夢をもち、その実現に向けて一生懸命努力するような体験ができにくくなっているのでしょう。

 ある大学の先生が、次のようなことを書いておられました(一部改変)。

 アフガニスタンで働いている医師Nさんの講演を聞きに行った。最後の質疑応答で、ある人がスクリーンに映し出された少年の笑顔を見て、「アフガニスタンの子ども達は、どういうときにあんな風に笑うのですか?」とたずねた。中村氏は、一瞬口ごもってから言った。子どもというものは本来笑うものです。未来があるからです。未来は希望ですから。どうして、水もあり、食べ物もあり、戦争のない日本の子ども達が笑わないのでしょうか? 反対にお尋ねしたいくらいです。私は2日前にアフガニスタンから帰国しましたが、子ども達が皆死んだような顔をしていて、今の日本は異常だと思いました」――久しぶりに日本に戻ったN氏のこういう感想はよくわかる。

 経済的豊かさが与えてくれるものが全てではない。豊かな日本の子どもから笑いが消え、貧しさのさなかにいるアフガニスタンの子どもが輝く笑顔をしている。それが何よりの証拠であろう。結局は私たちが生きていくうえで、何を一番大切に思い、何にお金を使うか、の選択であろう。それを私たち自身が考えなければいけない。

 快適で豊かな生活を手に入れた私たちが、次に考えるべきこと。それが何かは筆者にもわかりません。ただし、子どもが将来に夢をもつことをせず、わがまま放題の生活を送り、目先の楽しいことに時間を浪費するようなことを追認していると、人間の将来は暗いものになってしまうことは確かです。少なくとも、子どもの教育は大人が全力でエネルギーを注ぐべき重要なことの一つではないでしょうか。

 このことを受け、わが子の中学受験を視野に入れておられるおとうさんおかあさんにお願いしたいことがあります。それは、ただ「受験に受かる学力がつけばよし」とするのではなく、受験のプロセスを通じて、お子さんが勉強のよさにふれ、ものを知るということを自ら志向する人間になるよう配慮していただきたいということです。

 受験にたとえ受かっても、次にはさらなる学びを必要とする世界が待っています。しかし、受かることだけを考え、目先の受験のために学ばされてきた子どもは、そこで進歩が止まってしまいます。学ぶことへの動機がもはや存在しないからです。しかし、前回も書いたように、ものを知るということは人間本来の基本的欲求のはずです。ですから、学びのよさにふれる体験を繰り返すこと、それが受験勉強であるべきなのです。そこを間違えなければ、中学校へ入学したあとも、お子さんは熱心に学ぶ姿勢を失うことはないのです。

 学ぶということをライフワークにする。それこそ、人生の目的ではないでしょうか。大人の愛情と後押しで、本当の学びの価値にふれる体験を子どもにさせる。そこから、未来への大いなる可能性が開けてくるのです。

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