子どもが勉強を嫌がるのはなぜ? ~その2~
8月 23rd, 2010
前回は、自分のしたことを否定されることが、子どもにどのような影響を及ぼすかについて書きました。
幼児期~小学校低学年は、“オール・オア・ナッシング”の時代だと言われます。子どもは自分のしたことが全部OKでないと気がすまず、ちょっといけない部分があっても気持ちが納まりません。
そんな年齢期ですから、「ダメ」と言われるとたいへんなショックを受け、自分をまるごと否定されているように受け止める恐れがあります。「惜しかったね。もうちょっとで100点だったね」と言われても、「全部○でなきゃダメなんだ」と思い込んでしまいかねないのです。
親御さんにくれぐれもお願いしたいのは、子どもが意欲的に取り組むこと自体を大いに称え、間違いがあっても叱らないということです(態度面で叱ることとは別の問題です)。間違いがあったなら、「あれ、ここはどうしたのかな?」などと言葉をかけ、子どもに気づかせるようにしてあげてください。
小学校低学年の段階では、次のようなことは普通にみられますが、問題視する必要はありません。
- ・字を書いたり、計算処理をしたりするのに手間取る
- ・取りかかりが遅い
- ・うっかりミスが多い
- ・ものごとを迅速に判断したり、てきぱき処理したりできない
「子どもが読み間違えたり取り違えたりするのは当たり前だ」と心得、気長に見守ってあげてください。前回ご紹介したお子さんも、親の叱責が自信とやる気を失わせたのではないでしょうか。もっとおおらかに見守っておられたなら、お子さんは伸び伸び学べたことでしょう。
おかあさんがたにお願いしたいのは、うかつに否定的な言葉や子どもを打ちのめす言葉を使わないことです。特に、「ダメな子」「おまえはバカ」といった子どもの人格を無視するような言葉は、後々までも子どもを苦しませることになります。
ある書物にトルストイの幼少期のことが書いてありました。トルストイは、4歳のとき「おまえは醜い子だ」と母親に言われたそうですが、その言葉を生涯忘れなかったそうです。またフロイトは、「幼児期は人間の運命を決める」という言葉を残していると言われます。幼児期~小学校低・中学年期にいちばん大切なこと。それは「何ができるようになったか」ではなく、何かをすることを通じて、「自分に自信をもたせること」「物事への興味・関心をもたせること」ではないでしょうか。
有名な教育学者(東京大学名誉教授)の書物に、親が子どものすることにどう対応すべきかについて、参考になる話が載っていましたのでご紹介しておきましょう。
僕が小学校2年生のときの母親との会話で、今でも鮮烈に覚えているものがあります。
学校で「蒸留水」について習ったのですね。僕は誤解していて、川の上流の水だと思った。家へ帰って「上流水というのをやったんやで」と言ったときに、母は変だと思ったんでしょうね。それで「あ、そうか、『じょうりゅうすい』って、川の上流の水のことだと思ってたん?あんなあ、違うんや。『じょうりゅう』って難しい言葉やけど、お湯を沸かして出てきた湯気を冷やしたのを蒸留水っていうんや」って言ったんです。
僕がえらそうに説明して間違って言ったことを「何をアホなこと言って」と言わず、僕のプライドを傷つけないように「ああそうか、『じょうりゅうすい』ってそりゃそういうふうに間違うわなあ。でもなあ、『じょうりゅうすい』ってそういう意味違うんやで」と言ってくれたんです
僕が間違って言ったことに対して僕のプライドをできるだけ傷つけないように母親が配慮してくれたことを、その年で僕はわかったのですね。(中略)
親が「何言ってんのよ」とかなんとか言ってたら、僕は考えるのがいやになるかもしれないし、そういうことを言うこともいやになるかもしれない。
どうでしょう。子どもの間違いを見て叱りとばす親も、子どもの間違いに共感する言葉を投げかける親も、わが子に期待し、わが子を愛する気持ちに変わりはないと思います。しかし、子どもに自信を植えつけたり、子どもを奮い立たせたりする力をもっているのは、明らかに後者のほうだとどなたも思われることでしょう。
子どもが小学生までのうちは、基本的に勉強嫌いなんていません。勉強嫌いになったとしたら、それは人為的な要因があるからです。もしも親が原因だったとしたら、悔やんでも悔やみきれるものではありませんね。