中学受験生の学習意欲と親の関わり ~その1~
9月 27th, 2010
これまで、3回にわたって子どもの学習意欲を支える要素について書いてきました。お子さんの学習意欲をどう高めるかについて、少しでも参考になる情報が提供できたなら幸いです。
ところで、筆者はこの記事を書いたことがきっかけで、中学受験をめざした学習と生活、親子関係のありかたについて改めて考える機会を得ることができました。
子どもの学習意欲を支える4つの要素の変化の軌跡をたどっていくにつれ、子どもの内的成長の過程を踏まえた受験の必要性を痛感するとともに、それを無視した受験が子どもにとっていかに危険なことかを、考えずにはいられなくなったのです。
そう言えば、こんなことがありました。
何年か前、弊社の指導担当者に応募された女性を面接したときのことです。「我が社は進学塾ですから、子どもが受からないことにはやっていけません。しかし、子どもに勉強を強制して受からせるのでは意味がありません。子どもが自ら頑張って志望校に受かるよう導くのが塾の仕事だと思っています。ですから、あなたに依頼する仕事は、子どもに勉強の楽しさやすばらしさにふれる体験を提供することです」――そう言ったところ、彼女の表情は見る見る変わり、ついには泣き出してしまいました。
びっくりしたのですが、すぐに彼女はわけを語ってくれました。彼女のおかあさんは広島の私学の出身でした。そこで「わが子をぜひ母校へ」と考え、彼女をある学習塾に通わせたそうです。その学習塾(現存しません)は、厳しい指導で結果を引き出すスタイルをとっており、毎日のように通い、夜遅くまで勉強したそうです。しかし、がんばっても、がんばっても、「まだまだ今の成績では合格はおぼつかない」とハッパをかけられ、ほんとうに辛い受験生活を送ったそうです。
こうした努力の甲斐あって、彼女はおかあさんと同じ私学に合格することができました。しかし、やがて彼女の様子に異変が起こりました。定期試験のたびに気分が悪くなり、食事がのどを通らなくなったのです。「今にして思えば、中学受験の体験がトラウマになったのかも知れません」と彼女は語りましたが、それはうなずける話です。
それから大学の卒論準備に入ると、いよいよ心身は変調をきたし、ついには拒食症になってしまいました。約半年の休学を経て、やっとのことで大学を卒業したそうです。
「でも、私は母を恨んでいません。私を自分の母校へと思うのは親の愛情からですし、私がもっと勉強ができればよかったんです」「塾の先生も恨んでいません。私を志望校へと一生懸命に指導してくださったのですから」「こんな受験を経験した私が、子どもたちに勉強の楽しさ面白さを味わわせるなんて。そんな資格は私にはありません」――そう言う彼女に誠実そのものの人柄を感じ、彼女の涙が止まるまで精一杯励ましたことを今でも記憶しています。
「娘を同じ学校へ」と願うのは、まさに親の愛情ゆえのことです。しかし、受験をし、進学するのは娘さん自身です。わが子が「この私学に行きたい」という思いを深め、自らの目標として受験を定めて頑張るように導く方法はなかったのでしょうか。小学生時代は、「親の期待に応えよう」という思いの強い年齢期です。しかし、それを受験勉強の目標にすり替えてしまうのはどうでしょう。それがために、「興味的理由(内発的動機)」や「自己目標実現をめざす気持ちに支えられた学習意欲」などの要素が省みられなかったからこそ、受験生活のトラウマは生じたのではないでしょうか。
子どもたちが中学受験の準備学習に当たる小学校中~高学年は、一人の自立した人間へと成長していくための重要なステップとなる時期です。子どもの全人的成長を見据えながら受験の準備はなされるべきではないでしょうか。
また、学習意欲を支えるそれぞれの要素は、なるべく健全な形で発現されるような環境が、子どもには必要だと思います。
この女性のように、合格を得るという目的を大人からあてがわれ、そのためにのみ受験勉強をした(させられた)なら、学習意欲を支える様々な要素は頭をもたげることができなくなってしまいます。その結果受験での合格と引き替えに、もっと大切な「何のために学ぶのか」という、生き方の根本部分に欠落を生じさせてしまったなら、悔やんでも悔やみ切れません。そういう事態は何としても避けるべきだと筆者は思います。