“わける力”と“つなぐ”力 ~その2~
11月 1st, 2010
子どもたちの情意・行動面での「つなぐ力」の衰退は、既に社会現象となっています。例を挙げたなら、みなさんもご存知かもしれませんね。
たとえば、最近の若者は自分から気軽に他者に声をかけて仲良くなったり、友人関係を築いたりするのが総じて苦手になっています。そんな若者は、大学へ入学しても友人ができません。昼食時に一人で食べる様子を人に見られるのが嫌で、トイレに籠もって昼食を済ませる学生が随分いるそうです。
ある政治評論家の著作に、同じような話題が紹介されるとともに、それが憂慮すべき社会現象として論じられていました。
たとえばこんな話です。2009年に新聞社主催のシンポジウムがあり、8つの大学の総長や学長などが集まり、様々なやりとりがなされました。そのとき、「最近は、入学後僅か1~2ヶ月のうちに不登校になる学生が多い」ということが話題になりました。約1割の学生がそんな状況に陥り、そのままでは長期欠席から除籍になってしまう恐れがあるというのです。しかも、それはどこか特定の大学の現象ではなく、すべての大学で問題視されていることだそうです。難関大学と雖も例外ではないのです。
原因は、人間関係を築くのが不得手で、孤独感に苛まれる学生が多いということのようでした。小学校、中学校、高校では、以前からの仲間がいて、そういう問題が顕在化することはありませんでした。しかし、大学には知り合いがいません。基本的に人と交わったり、繋がったりする経験の希薄な学生は、こうした状態を自分で解決することができず、精神的に耐えられなくなってしまうのです。
大学側は相談窓口を設けましたが、相談者は僅かだったそうです。悩みの核心がどこにあるのか、本人自体が理解できておらず、悩みをどう説明してよいかわからないからではないかとみられています。そこで、最近ではいずれの大学においても、新入学生を20人くらいの小グループに分け、教授や準教授がついて面倒をみているのだそうです。
こういう悩みがあるときはこうしなさい、友達をつくるにはこうしなさい、などと、懇切丁寧にアドバイスをしているとか。笑えないのは、ここでの20人とは、幼稚園の平均的クラス人数に対応したものだということです。
この話を紹介していた政治評論家曰く。
私は教育の基本はコミュニケーションではないかとの思いを持っている。友達を作り、人間関係が深まっていくのが学びの基本であろう。ところがそのコミュニケーションがまったく身についていない学生たちが珍しくはないという現状。この悩みを、8つの大学の総長が一様に感じ悩んで、およそ今までの大学がする必要もなかった幼稚園まがいのことまでしなくてはならない現実。
これこそが、現在の日本の教育の生みだしたものであり、大問題であって見過ごすわけにはいかない。なぜ、学ぼうとする学生たちがコミュニケーションができなくなっているのか。重大な危機感すら私は覚えるのである。
どうでしょう。これはまさに「つなぐ力」の衰退を意味する問題であろうと思います。それがまた、学力低下の問題の原因にもなり・・・・・・と負のスパイラルが続いてしまうと、日本の未来は危ういものになりかねません。対処の方法はないのでしょうか。
この政治評論家は、原因として「正解を求め、誤りを排除する教育が、わが国では小学校、中学校、高校、大学と行われているからではないか」と述べていました。社会に出てからの仕事では、正解のないことにばかり立ち向かわなければなりません。正解を解くにはコミュニケーションは不要で、暗記し一人で覚えていくことで試験には対処できます。こういう勉強ばかりしてきているから、人とつながることのできない人間が増えているのだということなのでしょう。