過保護の時代だからこそ自立勉強を!

1月 31st, 2011

 「男の子だから、少々手荒な指導をしてでも鍛えないとダメ」とか、「男の子は、押さえつけてでも無理やり勉強させないと自分ではやらない」といった観点から中学受験を大人の後押しで乗り切らせようという考え方があります。

 実際、そう考える人は少なくないようで、中学受験塾ではそういう要請に応えるところもあるようです。しかし、私たちはそういうやり方に賛成できません。むしろ男の子だからこそ、やらされ勉強ではなく、自立した勉強で受かるよう徹底して導く必要があるのではないでしょうか。

 理由は、今日の社会を見れば一目瞭然です。受け身の学習姿勢が染みつくと、それは勉強だけに留まらず、その人間の生きかたのすべてに影響を及ぼしてしまいます。勉強が他力本願なら、他もすべてそうなるのは当たり前のことでしょう。

 そういう子どもは受かっても、たちまち中学校進学後に壁にぶつかります。勉強の自律性がない子どもは自己管理もままなりません。宿題がたまり、勉強がわからなくなり、結局はまた塾通いしかなくなるのではないでしょうか。塾には誠にありがたいことかもしれませんが、こういう塾の利用法が功を奏するとはとても思えません。

 また、仮に大人の後押しで大学までは行けても、その後はどうなるのでしょう。学問は、知的好奇心や向上心を背景にしながら、自らの取り組みでレベルアップしていくべきものです。そうして、やがてはやりたい仕事領域のなかで既習の知識や考え方を駆使し、創造性を発揮していくレベルに達していかなければなりません。そういう仕事においては、自分一人の力だけでなく、他者とつながり、連携していく必要性もあるでしょう。そういう場では、独創性のみならず、協調性やリーダーシップも求められます。これらは、人間として自立してこそ可能なことです。他者依存の姿勢が染みつくと、“追従型”の生きかたしかできなくなってしまいます。

 先日、弊社の経営者が嘆いていました。「ここ数年、社員採用のためにたくさんの面接をしてきたが、学歴は立派でもこれはと思うような人材がほとんどいない」というのです。話をもう少し詳しく聞いてみると、やはり筆者と同じような観点から、最近の若者の気になる点を指摘していました。

 「マニュアルで一応の答弁をするものの、社会人としてどう生きていきたいかとか、入社後にどのような指導をして貢献したいかなどの抱負を語らせたりすると、全然駄目だ」というのです。特に感じるのは、意気込みやエネルギーのテンションが低く、自分の言葉で熱い思いを語れる人間が少ないのだそうです。子どもたちを包みこむ温かさとか、ぐいぐい引っ張っていけるリーダーシップとか、おとうさんやおかあさんが納得されるような説明力を発揮するとか、そういうレベルの期待ができそうな人間がとても少なく、入社させなくても役に立たないことが予想される人間ばかりだというのです。

 こうした話を聞いても、根本のところに「自立しきれないまま大人になることの危うさ」を思わずにはいられません。

 まだお子さんが小学生なら、どのような可能性も残されています。人間形成の途上にあり、柔軟にものごとを受け入れることができるのですから、自立型の人間に鍛え直すことだってできるはずです。

 たとえば、お子さんの中学受験を視野に入れておられるかたは、中学受験を大いに活かせばよいのではないでしょうか。受験生活の自立を通じて、わが子を自立型の人間に鍛えていくのです。子どもを根底から変えていくには、何らかの目標を達成させるためにがんばらせるのがいちばんです。中学受験は、その意味で大きな役割を果たしてくれることでしょう。

 中学受験を通じて子どもを自立させる場合、家庭と学習塾との連携が不可欠です。こうした点も押さえながら続きを近々ご説明できたらと思っています。

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