勉強に自信がなくなるのは成長の証(あかし)?
3月 22nd, 2011
2~3年ほど前、テレビCMの撮影に立ち会ったときのことです。5月頃だったでしょうか。弊社5年生の会員家庭にお願いし、1クラス分ほどの数の子どもたちに集まってもらいました。
撮影にあたっては、機材のセッティングを始め大変手間のかかる準備が必要です。こうした作業と並行して、子どもたちも交替でメイクさんに顔を塗ってもらいました。
これは女の子たちにはとてもうれしいらしく、どの子も呼び出されるたびに晴れがましい表情を浮かべ、うきうきとメイクの場所へ移動していました。一方の男の子の表情は対照的でした。メイクをされるのが照れくさいのでしょうか。大概、ぶっきらぼうな表情をしたり、頬を引きつらせたりしていたのが印象に残っています。
子どもたちは、自分のメイクの番が来るまでは何もすることもなく、所在なさそうな様子でした。そこで、待機している子どもたちにこんな言葉をかけてみました。
「どうだい? 塾に通うのも慣れてきて、だいぶ勉強に自信がついてきたんじゃないかな? 5年生になって理科や社会の勉強も始まったし、算数なども結構難しくなったのに、みんなずいぶん元気いっぱいにがんばっているようだね」
それから、「5年生になって勉強に自信がついてきた人は?」と挙手をしてもらいました。すると、驚いたことにほとんど手が挙がらないではありませんか。「じゃ、自信がなくなってきた人は?」と、尋ねたら、何と三分の二以上の子どもが手を挙げました。
みんな笑顔に溢れ、その日も撮影に張り切って協力してくれているというのに。これはどういうことなのでしょう。
すると、ある男の子が言いました。
「塾は楽しいだけど、勉強はやっぱり大変だよ」
なるほど、と思いました。それから、何人かの子どもとやりとりをしていて、少しずつわかってきました。子どもたちも、受験勉強の変化に少しずつ気づき、受験生としての自覚をもち始めているのです。
「前よりがんばっているんだけど、なかなか成績があがらない」
「復習に時間がかかるようになって、予定の勉強を全部やりこなせなくなった」
「算数や理科に苦手な単元があって、テストで点数が思うようにとれない」
子どもたちは、ただ授業を受けたり、友だちとおしゃべりしたりするために塾に来ていた状態から、勉強に目的意識をもって塾に通う状態へと成長していたのです。しかし、成長した分だけ自分を見る目も確かになり厳しくなります。自分はこれでいいのかについて、4年生のころには何も思うことがなかったのに比べ、今は自分を客観的に見つめる目ももてるようになっています。それが自信を揺るがす大きな原因となっていたのです。
ところで、そのときの子どもたちの反応で気になることがありました。それは、おかあさんがたが子どものこうした変化に気づいておられないように思えたことです。
「このままではいけない」
「勉強が難しくなってきた。ちゃんとやっていけるだろうか」
「苦手単元は、やってもなかなか成果があがらない。どうしたらいいんだろう」
「5年生になったら人数も増えてきて、成績も簡単には上がらなくなってきた」
「テキストのやり残しが増えてきた。どうしよう」
――このように、子どもは子どもなりに考え、悩みながら勉強するようになっています。ところが、こうした子どもの変化を知ってか知らずか、おかあさんがたは子どもの尻を叩くようなことを言っておられるようでした。たとえば、
「このままの成績じゃ、お兄ちゃんと同じ中学、受かんないかもしれないよ」
「だんだん成績が下がってきたじゃない。もっとがんばれないの?」
「集中力が足りないのよ。もっと気合いを入れて勉強しなさい!」
「何でこんな点しかとれないの? こんなんじゃ、塾に行かせても意味ないじゃない」・・・・・・
子どもたちによると、親にこのようなことを言われるようです。家での勉強の様子やテストの成績だけをみると、親がそう言いたくなるのもうなずけます。しかし、子どもの心の中をおもんばかるとかわいそうになってきます。内心の不安と闘いながら学んでいるさなか、親にこういわれたのではますます辛くなってしまうのではないでしょうか。
おとうさんやおかあさんには、子どもの気持ちを理解してやり、勇気づけるような働きかけをお願いいたします。わが子をがんばらせたいのは同じでも、伝える言葉によっては真逆の結果を招いてしまいます。わが子を意気消沈させたり、やる気や自信を失わせたりする言葉ではなく、奮起を促す言葉かけこそ、お子さんが待望しているものです。
おとうさんおかあさんの心からの激励を受けた子どもは、親への尊敬や信頼の気持ちを育むこともできるでしょう。それは、長い目で見れば親子関係にも多大な好影響をもたらすことにもなります。
今一度、わが子の学ぶ様子をしっかりと見守ってみてください。以前と違う真剣な眼差しをしていることに気づかれるかもしれません。