よい先生のちょっとした違い
9月 12th, 2011
家庭学習研究社の経営者は、中学・高校生のための学習塾「フォルツァ」の経営者でもあります。フォルツァは、主として6カ年一貫教育の私学に通う生徒を対象として指導しており、中学生はグループ指導(学校の進度に合わせた指導)、高校生は代ゼミのサテラインを活用した指導を行っています。
あるとき、子どもの指導について話をしていたら、経営者がサテラインを利用して勉強している高校生の指導について、興味深いことを言いました。これは、サテラインかどうかに関わらず、学習指導にあたる者としての基本的かつ重要なポイントであると思いましたので、ちょっとそのことについて書いてみたいと思います。
経営者曰く。
ダメな先生は、努力さえすれば必ず指導成果につながる大切なことを疎かにしているものだ。たとえば、サテラインで勉強している生徒に、「ここをやっておきなさい」と指示を出したら、その生徒が「やりました」と言うまでその生徒の取り組みをまるで見ていない。そればかりか、パソコンのある場所から立ち去り、休憩したりしている。取り組んだ結果を見てわかることは、その生徒が得た成果や抱えている問題点のほんの一部でしかないのに。大事なことは、その生徒が画面とにらめっこをしながら取り組んでいる、そのプロセスからわかるのに。
よい先生はそこを心得ている。指示を出した後、さりげなく生徒のそばに立ち、取り組みの様子をじっと見守っているものだ。だから、生徒の答案からはわからないことまで掌握している。そういう情報のなかに、子どもが一歩前進するために必要な何かを見つけ出すヒントがあるものだ。だから、「やっておきなさい」と指示を出しっぱなしで席を離れてしまうような先生は、生徒に与えてやるべき大事なアドバイスができない。だからダメなんだよ。
確かにその通りだと思いました。私たち、小学生の受験指導をしている者にも当てはまる話です。授業中、単元の大切な考えかたを指導した後、全員に例題に取り組ませることがあります。そんなとき、よい先生は教室全体をくまなく見渡し、今指導したことが子どもたちに浸透しているかどうかを確かめます。
よくわかっていれば、子どもたちの大半がすらすら解いているでしょうし、わかっていないようなら鉛筆が動いていないものです。首をひねったり、しかめっ面をしていたりする子どもが多ければ、指導が徹底していないのです。子どもたちの反応の微妙な違いを見極めている先生は、ヒントを出したり、フォローをしたりする必要性があるかどうかを、上手に判断することができます。
しかしながら忙しく働いていると、ついつい子どもに作業をさせている間の時間も惜しくなります。たとえば、返し損なっている小テストがあれば、その採点をしたくなってしまうのです。「子どもたちがせっかく取り組んだテストだから、少しでも早く採点して返してやらねば」という熱意の表れだったとしても、これはまずいやりかただと言わざるを得ません。
学習指導の現場に立つと、「どう説明すればわかりやすいか」「子どもをどう励ましたらやる気になるか」ということには熱心になります。しかし、先生として見落としてならないことが他にもあるのだということを、つい見失ってしまうことがあります。
弊社の経営者は、すでに70数歳。今でもサテライン指導の現場に立って高校生の指導に情熱を燃やしています。若い頃は算数・数学を指導していたのですが、この年齢になってから必死になって勉強し、今は英語も教えています。若い頃には、子どもたちをぐいぐい引っ張り、やる気を引き出すのに非常に長けていたと聞いています。
家庭学習研究社は、その経営者の指導力で大きくなった学習塾です。現場で子どもたちの指導にあたっている者は、この経営者のよいところを見習い、少しでも受け継いでいきたいものだとつくづく思う次第です。