自分に合った進路がわからない
10月 11th, 2011
前回、「つきたい職業が見当たらない」という高校生が増えているということについて書きました。その原因について、筆者の想像を少し書きましたが、実際のところはよくわかりません。教育社会学者の先生がたには、是非実相について調査研究していただき、教育現場での対策に向けた動きをつくっていただきたいと思います。
ところで、職業への夢はあっても、それに足る能力がなければ夢は実現しません。そこで、どうしても勉強が必要になるわけですが、つきたい職業が明確で目標になっていれば、勉強もがんばれるでしょう。しかし、それが定かでない子どもはいろいろ悩むものです。
先日、弊社の経営者から聞いた話をご紹介してみましょう。それを通じて、小学生から、中学生、高校生にかけての子どもの学びのありかたについて、もう一度考え直すきっかけにしてしていただけたらと思います。小学生のお子さんをおもちの方々にとって、もうすぐ人ごとでない問題になることだと思います。
先日、弊社の経営者と打ち合わせをしていたら、次のような話題が出てきました。私立一貫校の高校1年生だったと思いますが、進路についての悩みを相談してきたそうです。何でも、文理の選択をする時期が近づいてきたが、将来の就職のことを考えて理系に進むことを決心したものの、本来理系タイプの人間ではないと思っているので、気持ちがしっくりしないというのです。
「自分の望みでないコースに進んでも意欲が湧いてこないし、物理など難しくていくら勉強しても全然わかりそうもない。わからない勉強、自分に向かない勉強をいくらしても、満足できる大学進学結果は得られないだろうし、この先いったい自分はどうしたらよいかわからなくなった」というようなことを語ったそうです。
以前読んだ新聞に、大学生の就職状況は戦後最悪の状態にあるという記事が載っていましたが、それでも文系学部よりは理系の学部のほうがずっとよかったように記憶しています。就職に有利な理系に進むほうが利口で賢明なのかもしれません。とは言え、どの教科も人並み以上できる生徒ならいざ知らず、本来は文系タイプで、物理がサッパリわからないという生徒の場合、どうなのでしょう。
弊社の経営者は、こうアドバイスしたそうです。
「きみは、話し上手で社交性があるし、実際に友だちも多くて人気者だ。人間として魅力があると思うよ。就職のことを気にしているみたいだが、企業というのはものづくりや研究にばかり人が必要わけではない。第一、つくった商品が売れなければ企業は成り立たない。文系の人間だからこそ活躍できる分野はいっぱいあるじゃないか。 私が一般企業の採用担当者なら、コミュニケーション能力、表現力に長けたきみのような人間を採用すると思うよ。勉強を就職の手段として嫌々やったのでは成果はあがらない。きみは明らかに文系タイプだからそっちに進み、がんばればいいじゃないか」
すると、その生徒は
「先生、今の話は僕を元気づけようとして、お世辞で言ったんじゃないですか」と言い、確かめるような目つきをしました。
「気休めを言っても、きみのためにはならない。私は率直な気持ちを話しただけだ」
経営者がそう言うと、明るい表情をして家に帰ったそうです。それからしばらくして、その生徒さんの親から電話があり、「子どもが元気を取り戻し、ハツラツと勉強をするようになりました」とお礼を言われたそうです。
この話のように、就職のために学ぶコースを曲げなければならないとしたら、学生時代の意義は薄れてしまいます。方便としての勉強ほど味気ないものはありません。それでは本末転倒というものです。また子ども自身、大学生活において意欲も元気も湧いてくるはずがありませんし、人生の意義も見失ってしまいかねません。
こうしてみると、自分は何をしたいのかよりも、どういう進路をとれば有利かを早期から考えて学ぶことが、果たして幸せなことだろうかと疑問を感じてしまいます。
無論、高校生までの勉強は、人間として偏らないようバランスをとることも必要です。しかし、先ほどの生徒の場合、まず自分に手応えを得、自信をつかむことが必要です。文系に進んだ後、国立の大学をめざすことになれば、理系の教科の勉強も相応にがんばれるようになるものです。
「将来つきたい職業がわからない」「自分にあった進路がわからない」――これは気持ちの揺れとしては、ほとんどの高校生に存在するものです。つきたい職業が常に明確であるはずはありませんし、自分の進路の方向が早くからわかっている生徒はそういるものではありません。ですが、それに振り回されていつまでも悩んだり、ふんぎりがつかなくなったりすることは、できるだけ避けたいものです。
これをお読みの方々は、ほとんどが小学生の保護者のかたであろうと思います。やがて、わが子も中学・高校生となり、将来の進路について考え始めるときがくるでしょう。そのとき、うまくこの関門を突破して人生の足がかりを築いてほしいものですね。