受験が終わったら何をしたい?
11月 14th, 2011
中学入試が行われたその日の午後、一人の6年生男子児童が挨拶がてら、筆者たち指導担当者のところへ訪ねてきてくれました。
第一志望校の入試が終わったその日、既に第二志望校の合格も決まっており、もう次の入学試験は受けません。すべてを終えた爽やかな笑顔でした。
その彼が、国語を担当した筆者にこう言いました。
「先生、国語の授業のときに、いろいろな本を紹介してくれたけど、ボクは6年生になってから受験勉強を始めたので、毎日勉強だけで手一杯で、本を読むことができませんでした。今日入試が全部終わったので、帰りに本屋に行き、読んでみたかった本をたくさん買ってきました。やっと、ゆっくり読書を楽しめます。ありがとうございました」
彼は受験勉強のスタートが遅かったことを、自らの奮起と実行力に変え、常に「遅れを少しでも早く取り戻したい」と自分に言い聞かせながらがんばっていました。「ちょっと本を読むぐらい、息抜きにもなるんだし構わない」と筆者は思ったのですが、ストイックなまでに勉強に打ち込む彼には、そうすることがまるで怠けることのように感じられたのでしょう。
「入試が終わった。やっと好きな本が読める」――無事に入試を終え、やりたかったことができるようになった喜びや安心の気持ちを彼は心から満喫したことでしょう。
こういう子どもがいるのを見ると、「まだまだ今どきの子どもも捨てたものではないな」と、自分が何もしたわけでもないのに、うれしくなってしまいます。
こんな男の子もいました。これは、筆者が担当したお子さんではないのですが、校舎の責任者から聞いた話です。第一志望校に合格し、おかあさんと一緒に挨拶に来てくれたものの、なんだか落ち着かない様子。
ひとことこれまでのお礼の言葉を言ってくれたのですが、気もそぞろのようでした。おかあさんが、「先生にちゃんと挨拶をしたの?」とおっしゃると、「うん」と答えるや否や、脱兎の如く駈けだし、ロビー脇の椅子に座り込みました。そして、カバンからゲーム機を取り出し、すぐさま取り組み始めました。
よほどゲームがやりたかったのでしょう。おかあさんに「入試が終わるまではゲームを我慢しなさい」と禁止され、やりたい気持ちをぐっとこれまで堪えて勉強してきたのです。
これはこれで、ほほえましい話です。受験をしない友だちは、ゲームだろうとなんだろうと、やりたいときに好きなことをすることができます。それなのに、彼には受験があるからゲームをすることができなかったのです。よく最後まで我慢できたものです。
ですが、この二人の我慢を比べてみて、質の違いを思わずにはいられませんでした。前者の男の子は、本を読むのを我慢することを、自らに命じて実践していました。後者の男の子はどうでしょう。おかあさんに禁止されて、入試が終わるまで渋々ゲームを我慢していたのです。
同じ受験勉強でも、前者は自分のこととして積極的に受け止めていたのに対し、後者は進学のためのやむを得ない手段として仕方なくやっっていたのだと思います。どちらが希望に燃えて志望校に入学するでしょうか。どちらが中学入学後、ますます勉学に打ち込む生活を実現させるでしょうか。答えは、言うまでもありませんね。
まだまだ中学受験までに時間が残されているご家庭へ。中学受験を何とかして子ども自身のものにしてやりましょう。小学生ですから、親に言われて受験勉強を始める子どもはたくさんいます。しかし、そのまま受け身の受験になってしまわないためにも、親は「なぜ受験をするのか」についてわが子に様々な情報を提供してやりたいものですね。
子どもは、命令されたり押しつけられたりすると抵抗しますが、「こんなこともあるよ」と、情報を提供される形だと、素直に親の話を聞いてくれるものです。その情報の中に、いかに親の願いや期待、方針をまぶすかが親の工夫のしどころです。
受験が子どものものになる。そこへうまく漕ぎつけたなら、受験での成功は半ば達成したようなものです。