理解主導の勉強は中学進学後に生きる

12月 19th, 2011

 子どもの暗記力には、ほんとうに驚かされます。ある子どもは、社会の歴史的な事件をあげると、たちどころにそれが起こった年号を言い当てます。しかも、苦労して覚えたのではありません。学習対象をまるで写真にでも撮ったかのように、脳に刷り込んだかのように記憶しています。大人の暗記力など、到底こんな子どもの前では歯が立ちません。どうしてこうも違っているのでしょうか。

 実は小学生時代は、今例にあげた年号知識に代表されるような“意味記憶”に強い年齢期です。意味記憶とは、自分が体験したことの記憶(エピソード記憶)と異なり、単なる知識です。大人は、こうした知識を機械的に暗記するのが苦手です。ところが小学生までの子どもは、一見無味乾燥に見えるこの機械的な暗記に長けているのです。実際、この圧倒的な暗記力を駆使することで、難関中学の入試を突破している子どもも少なくありません。

 では、子どもの暗記力を軸にした中学入試対策をすれば問題ないのでしょうか。そうではありません。子どもが中学生になると、さしもの勢いを誇った暗記力も一段落し、記憶の主役は“エピソード記憶”に代わってきます。エピソード記憶とは、因果関係をもとに「なぜそうなったのか」を結論づけて頭に入れるような記憶です。

 こうした子どもの発達的変化と相まって、中学・高校では論理的思考が重要性を帯びてきます。ところが、暗記で点を稼ぐくせのついた子どもは、急にはやりかたを変えられません。行き着く先がどうなるか、もはやおわかりでしょう。

 以前、広島のある私学の社会科入試でこんな問題が出されました。「秀吉の検地・刀狩りが、社会の仕組みにどんな変化をもたらしたか、簡単に説明しなさい」――おそらくは、「社会科は暗記物」といった単純な記憶力勝負の受験生をふるい落とすための問題なのでしょう。あるいは、本当の社会科の勉強をしているかどうかを問おうとしたのかも知れません。暗記型の子どもには辛い問題です。ただひたすら知識を丸ごと覚え込んでいた子どもは、歴史の因果関係を問うこのような問題には歯が立たないことでしょう。

 私たち家庭学習研究社は、「理科や社会科は暗記物」といった片づけかたに基づく受験指導には反対しています。教科のフレームとなる重要な内容の学習は、子ども自身が「なるほど!」と、納得しながら進めていくべきだと考えるからです。そして、それを土台にして覚えるべき付帯的事項を取り込んでいくのです。たとえば、歴史の大きなうねりをしっかりと掌握した上で歴史上の出来事の一つひとつを掘り下げて学び、覚えるべき事柄を頭に刻みつけていくのです。そうすれば、先ほどのような問題にも十分に対処できるし、暗記力のよさも一層生かされるのではないでしょうか。

 家庭学習研究社が、4年部開始から2年あまりもの期間をかける「基礎力養成期」で徹底させているのは、このような考えに基づく指導です。大切な基本をしっかり身につけた子どもは、知識をバラバラでなく体系的に理解していますから、中学入試に強いのは無論のこと、中学・高校進学後も筋のいい学習を展開させていき、学力を大きく伸ばしていくことができます。

 小学生の子どもの暗記力は確かにすばらしいものです。しかし、地道に理解を積み重ねながら進めていく学習のほうが、長いスパンで見ると、結局は学力開花への遠回りのようで近道なのではないでしょうか。

 小学生の子どもには、どういう受験勉強をすべきかの判断はまだできません。大人がこの年齢期特有の暗記力を前提に、どんどん覚え込ませれば、それはそれで入試突破の一つの方法にはなるのかも知れません。しかしながら、いったん染みついた勉強法を後から変えるのは至難の業です。

 「このことを踏まえ、中学入試をめざして学ぶ子どもに最もよい勉強法を授けるのが、私たち大人の役目ではないでしょうか。

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