家庭学習研究社で学ぶことの意義 ~その1~
2月 6th, 2012
前回は、子どもに中学受験をさせることの意義について弊社の考えをお伝えしました。これに関連して、今回は弊社の教室でお子さんが学び、そして中学受験をされることの意義について書いてみたいと思います。やや手前味噌の話になろうかと思いますが、ご了承ください。
中学受験塾としての弊社について、みなさんはどのような印象をおもちでしょうか。弊社は、合格力や実績を謳うなど、受験塾らしい勇ましい宣伝広告の打ち出しをしないよう心がけています。それは、「学んで成果をあげたのは子どもたちだ。学習塾が、実力を誇示するかのような宣伝をするのはよくない」という経営者の考えによるものです。そして、「塾の学力観や方針を丁寧にお伝えしなさい」という指示を受けています。
こうした考えに立った広報活動は、ともすれば地味な印象につながりがちです。しかし、筆者は広報業務を27年担当していますが、毎年必ず一定数のご家庭がお子さんを弊社の教室に預けてくださいます。ですから、これでいいのだと思っています。
「学びの自立」「積極的学習姿勢」「自己管理に基づく学習」「学習方法の体得」など、弊社が掲げる学習指導の方針は、いつ頃できあがったのでしょうか。実は、40年以上も前の設立当初からです。受験は基本として進路を決めるためのものです。合格するためのものです。しかし、それなのにこういった方針を打ち出しているにはわけがあります。
弊社の経営者は、家庭学習研究社を設立する前に別の呼称で学習塾を経営していたことがあります。その頃は合格のことしか眼中になかったそうです。しかし、何年もしないうちに考え込むようになりました。晴れて志望校に進学したはずの教え子が、勉強に行き詰まって次々に相談にやってくるのです。
やがて経営者は気づきました。「受かることだけを考えた指導をしていると、いつまでも子どもは勉強の自立がままならない。自分で勉強を押し進めていく術(すべ)を身につけていなければ、どの中学校に進学しようと行き詰まるのは当然だ」――このように考えました。
広島市で小学生のための学習塾を設立しようと決心した際、教育の専門家のアドバイスを受けながら様々に考えた末に、「子どもの望ましい成長に資する学習指導」という根本方針を掲げ、今日のような指導のやりかたを確立したと聞いています。
広報業務を長い間担当してきた筆者ですが、この方針を貫くことに異論を唱えようと思ったことは一度もありません。ただし、心理的に苦しい時期はありました。それは、中学受験ブームが押し寄せていた頃のことです。15年~20年前になるでしょうか。
受験者数がピークに達していた頃、修道の受験生は1900名を越えていました。広島女学院は1500名近い受験生を集めていました。当然、合格を巡る競争は熾烈を極めました。猛烈に勉強をやり込む受験対策が大手学習塾で普通のように行われ、弊社の子どもたちは苦戦を余儀なくされました。
しかしながら、それでも弊社を支えてくださる家庭の数は減りませんでした。「ただ受験に受かればいいと思っていません。おたくの教室で学んで受かることに意味があるんです」「家庭学習社で学んだ生徒は、勉強のやりかたをよく知っています」と、励ましてくださったおかあさんの声が今も記憶に残っています。
無論、指導の内容が全く変わらないわけではありません。合格力に対する配慮も行ってきました。しかしながら、指導の基本スタンスはほとんど変わることなく今日に至っています。少子化が確実に進行し、さしもの受験ブームが去ってみると、いつの間にか合格の実績もかつてとさほど変わらない状況で安定するようになっていました。
また、筆者が指導を担当した子どもたちの“中学受験その後”の情報も「今の方針がよいのだ」という考えを後押ししてくれました。第一志望に受からなくても、学ぶ姿勢のよかった子どもは大学受験でちゃんとした結果を残していたのです。ですから指導現場のほとんどの者も、「この方針で受かる子どもをいかにして育てるかが、私たちに問われているのだ」と考えていました。
さて、ここからが本題になるのですが、すでに予定していた文章量に達してしまいました。今回はこれぐらいにしておきます。次回は本題に入り、小学生の健全な学力形成を願う、弊社の情熱と心意気をお伝えできたらと思っています。木曜日に更新します。