中学受験生に必要な勉強って?

4月 23rd, 2012

 会員家庭には、今さらお伝えする必要のないことですが、弊社では2週間をひとまとまりとした単元でカリキュラムを組み、2週目の週末土曜日には「マナビーテスト」という、まとめの単元テストを実施しています。

 テストの翌週になると、多くのお子さんはテスト結果を早く知りたいらしく、目をキラキラさせて、授業担当者に「テスト、どうだった?」と尋ねてきます。無論、みんながよい点や順位をとりたいわけですから、うれしい結果が待っているとは限りません。それでも、やはり結果が気になってしようがないのです(確かに、この繰り返しで学力が伸びていくのですが)。

 なかには、「これでいいのかな?」と首を傾げるくらい、成績に執着するお子さんもいます。「ボク、算数何点? 国語は? 理科と社会の結果も教えて! 総合順位は何番?」――こういった調子で、矢継ぎ早にテスト結果のことばかり聞いてくる男の子がいました。実際の成績はというと、これがたいしたもので、総合順位は6年生男子のなかで常にベスト10以内にいました。よいときは1位、2位などにもなるほどの優秀なお子さんでした。

 しかし、あまりに成績に執着心が強いため、「もう成績ばかり気にするのは、いい加減にしたらどうか!」と、一喝してやりたくなることも度々あったことを思い出します。

 このような話をお伝えすると、「うらやましい。うちの子が、もうちょっとそのような闘志というか、成績に対するこだわりをもってくれたらよいのに」と思われる保護者もおられるかも知れませんね。

 しかしながらそれも程度問題です。こうした調子で「点数と順位が命!」とばかりに競争に没頭するような勉強をしている子どもは、やがて行き詰まるのではないでしょうか。

 中学・高校までは身近な入試という目標があるし、クラス順位や学年順位などを励みに勉強できるでしょう。しかし、大学、社会人といった段階になると、こうした単純な図式での励みを糧にがんばることはできなくなります。

 あるとき、「中学受験指南書」の類の書物を手にしたところ、著者の過去の経歴や思い出が書かれた場面があり、興味深く読んだことがあります。その本によると、著者はかつて全国有数の中・高一貫校に通い、さらには東大に進学したそうです。

 その人の中学受験時代は、まさに先ほど筆者が紹介した「点数と順位が命」といったように、競争が好きで、よい点と順位をとることに没頭する毎日だったそうです。しかし、本人は全く辛くないのです。よく言うところの「ゲーム感覚」のノリでしょうか。点数をあげることが楽しく、しかもやったらやっただけ成績もあがるような頭のよい子どもだったのでしょう。だからでしょうか。「当時は、勉強をするほんとうの理由を考えたことはなかった」と述べていました。

 勉強の目的、それは今学んでいるそのことのなかにあるものだと言われます。目の前にある不思議や解決したいこと。それを明らかにすること自体が勉強の目的なのです。受験勉強とは言え、小学生の勉強ですから、ここのところは同じではないでしょうか。

 子ども時代は、その知ろうという欲求を満たしていく経験を繰り返すことが重要だと思います。成長につれて「何を自分はしたいか」「何になりたいのか」というふうに、知的欲求が社会化することによって進路が方向づけられていくのが理想であろうと思います。

 その意味において、やはり順位や成績ばかりを追い求める勉強を子どもたちにはさせたくないと筆者は思います。では、どういう勉強の姿勢が望ましいのでしょうか。これが今日の本題です。

 筆者がかつて指導を担当したなかにも、東大に進学するような優秀な子どもたちがたくさんいました。そういう子どもの受験生時代を思い出してみると、テストへの関わりかたが、今受験勉強をしている子どもたちの手本になるようなものがあります。

 たとえば、間違えた問題を全てチェックし、なぜ間違えたのかを一つひとつ分析する子どもがいました。ミスをすると、どの子どもも悔しがるのはおなじですが、後の対応はまちまちです。同じミスをしないためには、「自分はどういう間違いをしたのか。原因はどこにあったか」をしっかりと掌握して次に臨む子どもがミスを繰り返さない子どもです。

 また、できなかった問題のうち、理解不足が原因であるとわかると、何度も繰り返してやり直すタイプの子どもも、高いレベルへと学力を伸ばす子どもです。

 わからなかった問題を質問で理解することはとても大切なことですが、答え方のコツやヒントをもらおうとする子どもより、考え方を納得がいくまで理解しようとする子どものほうが伸びるものです。テストの点か、それとも理解か。理解を重んじるタイプのほうが伸びるのは道理です。

 今例に挙げた子どもたちも、テストの成績をあげたいのはみな同じだったでしょう。しかし、勉強本来のよさにふれる何らかのものをもっていたという点が違うのです。

 落ち着いて自己点検をしている子どもより、ミスをしてもあっけらかんとしている子どものほうが、かわいらしく見えるものです。しかしながら、受験のために塾に来ている以上、自分の取り組みを客観的に捉えようとする姿勢をもち、またそれができる人間へと成長してくれなければなりません。

 自分の認知状態を客観視するもう一人の自分をもつ。それをメタ認知的思考と言いますが、一流の中学受験生は、いち早くこのメタ認知思考を携えています。子どもたちには、今から一歩ずつその域をめざしてがんばっていただきたいと思います。

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