私たちの“基礎学力”育成論
5月 21st, 2012
ほんとうの頭のよさとは、どのようなものでしょう。知識をたくさん身につけていることでしょうか。それとも、行動力・決断力があることでしょうか。要領がいいことでしょうか。記憶力に優れることでしょうか。当然のことですが、これらは、みな頭のよさの一側面でしかありません。
認知科学の入門書を何冊か繙(ひもと)いてみると、だいたい次のようなことが書いてあります。「新しい局面に直面したとき、柔軟に対応し、最も適切な解決法を見出す能力を携えていること」――これを、私たちの関わる中学受験対策の勉強に照らして考えてみましょう。
ご承知のように、中学入試で出題されるのは、算数、国語、理科、社会の4教科です。これらの教科の学習範囲は、小学生にとって相当に広いものです。もし、入試で満点を取ろうとしたら、あるいはどのような問題も経験済みの事柄にしておこうと思ったら、おそらく膨大な時間や労力の投入を余儀なくされるでしょう。
そこで大切になるのは、既習の内容をもう一度頭の作業台に乗せ、様々な角度から検証して必要な情報を抽出したり、ある結論に漕ぎつけたりする力を養うことです。そうすれば、無闇と知識を詰め込んだり、たくさんの問題に当たったりしなくても、大概の問題に対処することができるでしょう。これこそ、身につけるべきほんとうの学力ではないでしょうか。
そもそも入試というものは、“知っているか、覚えているか”を試すものではなく、“既習内容を真に理解しているかどうか”を問うのが本来の目的です。私立一貫校の入試問題に目を通してみると、知識の量や深さを問うだけでなく、その運用力や知識を活用した思考力を問おうとしている問題も多数あります。よい入試問題ほど、暗記のみで対処できないような工夫が凝らされているものです。このような問題に対しては、学んだことを活かせるかどうかが勝負の決め手になります。
一見、まだやったことのない問題、見たことのない問題への挑戦。それが、中学入試です。しかし、小学校の履修範囲からの出題という大枠・原則があるのも、中学入試です。ですから、よく考えれば必ず解答に漕ぎつけるための突破口は見出せるのです。それが中学受験勉強の面白さではないでしょうか。その面白さに気づくところまで導くのが私たちの仕事です。
実際、算数の難しい課題の突破口を見つけようと、表や図を描きながら熱中して考えている子どもの様子を見ていると、「子どもの頭がよくなる学習とは、こういうものなんだな」と思わずにはいられません。そういう学習をしているときの子どもの表情は、それは素晴らしいものです。
では、どうすればそういった学習のできる子どもになれるのでしょうか。弊社では、4年生から6年生の4月末までを「基礎力養成期」と位置づけています。この基礎学力養成期で、既習内容を活用して問題解決をはかる姿勢を築いていきます。したがって、学習課題のレベルの設定には細心の注意を払い、基本的なことをしっかり子どもに理解させること、そして、その基本事項を活用して問題解決をはかる楽しさを子どもに繰り返し味わわせるよう配慮しています。
頭のよい子どものなかには、途中の大切な思考のプロセスを飛び越え、一気に答えを引き出そうとする傾向のある子どもがいます。基礎内容を学んでいるときにはそれで通用するのですが、入試問題になるとそうはいかなくなります。答えを引き出すまでに、何段階もの思考のステップが必要となるため、一気に答えを引き出すことができなくなります。そうなると壁にぶつかってしまいます。
ですから、弊社ではどのお子さんにも、基礎を学ぶ段階ではセオリーに則った解決法を丁寧に教え、図や表などを用いて理詰めで答えを引き出すことを徹底させるよう指導しています。
このような学習を通して身につけた学力は応用が利きます。また、理詰めで解決することの楽しさや喜びを知ったお子さんは、自律的な学びの姿勢を備えています。それが、やがて非常に大きな意味をもつようになります。
既に何度か書きましたが、今日の社会は実力社会です。目の前の解決すべき問題点の本質を見抜き、突破口を切り開くためにあらゆる知恵を絞り、様々な角度から検証しながら最善の解決方法を見つけだしていく能力が問われます。そういう能力のおおもとは、子ども時代の学びかたを通して身につくものです。その意味において、中学受験をどのような学習によって乗り越えたかは、後々の人生に影響を及ぼさないはずがありません。人間形成のさなかにある受験だからです。
学習塾は、子どもにとっての学びの環境です。そこでどういう学びかたを身につけるかで子どもの成長の流れは随分変わっていきます。家庭学習研究社で学べば、その学びかたは子どもにとって当たり前のことになっていきます。その当たり前の勉強法が、世間で立派に通用するものであるよう配慮する。それは、前途ある小学生をお預かりする学習塾の、当然の務めであろうと思っています。