わが子に不満を募らせているかたへ

11月 21st, 2013

 11月17日(日)には、「玉井式国語的算数教室」を導入している全国の学習塾の全体研修があり、家庭学習研究社から筆者と低学年部門の社員3名、計4名で参加しました。会場は、品川ガーデンシティホテルでしたが、久しぶりに見る品川駅付近の様変わりぶりに驚きました。なにしろ、数十階はあろうかと思われるような高層ビルがずらりと並んでいます。

 実はその日、筆者は5時間に及ぶ長い研修の最初にあたる「基調講演」を依頼されていました。このような大層な役柄には値しない人間ではありますが、「玉井式の効能を科学的見地から検証する」という意味では、誰にも負けないという自負がありましたので、迷うことなくお引き受けしました。

 さて、ここまでの話は催しへの参加報告で、今回の話題には即していません。今回書いてみようと思ったことは、この基調講演において学習塾関係者の方々にお話ししたことを振り返っていると、「この話は、おかあさんがたにお伝えすべきではないか」という思いに駆られてきたからです。それは、子どもと接するときの最も基本的で重要なことについてです。

 筆者は、かれこれ28年家庭学習研究社で広報の仕事を担当しています。今は授業に出ていませんが、もう少し若い頃には週3~4日授業を担当していました。普段の授業は筆者自身楽しかったのですが、秋が深まってくると、「冬期講座」や「次年度講座」の募集活動の準備が忙しくなり、正直言って「授業がなければいいのに」と度々思ったものでした。

 ある日、大急ぎで授業の準備をして校舎へ移動したものの、その日はとりわけ忙しくて既にくたびれ果てていました。「これじゃ、どうせろくな授業もできやしない。ああ、嫌だな」――そう思いながら授業に臨んだのですが、その日の授業は予想外のものになりました。

 子どもの反応がとてもよく、一生懸命筆者の話を聞いてくれるのです。気がつけば、「ひょっとして、今年いちばん流れのよい、活気ある授業になっているのではないか」とさえ思いました。授業時間が終わっても、子どもたちは「もっとやろうよ!」と言ってくれるほどでした。

 何が授業を変えたのでしょう。何しろ、相手は6年生の男子ばかりです。参観者がいる大事な授業で、筆者の気持ちを見透かしたように授業をかき乱して恥をかかせるような子どもたちです。それが、どうしてぼろ雑巾のようになった元気のない私を励ますかのような、よい反応をしてくれたのでしょう。その日の夜、帰宅するときには心から子どもたちに「ありがとう」と思ったものでした。

 学習塾関係者の方々には、そのエピソードを通して「子どもたちの反応は、自分の姿を鏡に映したようなものだ」という意味でお話ししました。子どもたちのよい反応は、その日の自分の授業への態度や姿勢を映しだしたもので、そうしたフィードバックから学ぶことを通して私たちは指導の技量を上げ、人生の生きがいを得ることができるのだ、といったようななことをお話ししたように記憶しています。

 しかし、講演内容を反芻しながら、筆者はふとあることに気づきました。それは、子どもたちがあの日の授業で指導者冥利に尽きる反応を示してくれた本当の理由です。子どものよい反応は、くたびれ果てた筆者への思いやりによるものではなかったのです。

 おそらく、筆者が余計なことを考えず、自然体で授業をしていたからではないでしょうか。いつもなら、「こういう授業をやろう」「子どもたちには、ここまで取り組ませよう」といったように、子どもをコントロールすること、自分の満足のいく授業をしようという、自分本位な邪念があったのだと思います。それは無意識の意識といったレベルのものですが、子どもに見通されていたのです。

 すると、連想ゲームのようにわが子の中学受験の頃のことが頭に浮かんできました。いくら注意を与えても頑固で言うことを聞かず、叱ると徹底的に反抗するわが子に手を焼いていました。「もう勝手にしろ!」と怒鳴りつけたこともありました。ところがある日、車のなかで親の気持ちを何ということもなく語って聞かせたとき、わが子のほうを見ると何と顔が涙でくしゃくしゃになっているではありませんか。あれほど注意したり、忠告したり、叱ったりしても、頑なに言うことを聞かなかったわが子が・・・。今やっと、息子の涙の意味がわかりました。肝心なとき、問題の核心に気づかなかった親としての自分を、今さらながら後悔するばかりです。

  2013112_a さて、ここからがおかあさんがたにお伝えしたいことです。わが子が思い通りにならない、期待通りにやってくれない。それに不満をもち、怒りの気持ちで接すれば、子どもはたちまちおかあさんの本心を察してしまいます。そのときの子どもの反応は、実は親の心の状態をそのまま鏡に映し出したものではないでしょうか。親はわが子に対してマイナスの感情を剥き出しにして接するから、それが子どもに伝播してしまうのです。

 親はわが子を思い通りにコントロールしようとするのではなく、もっと子どもの現実に沿って自然体で接してやればよいのではないでしょうか、そして、わが子に対する気持ちを、率直に伝えてやればいいのです。親が自然体で子どもに接すれば、子どもも無用の身構えをしなくなるでしょう。そのうえで、子どものやったことのちょっとしたよい点を、フィードバックしてやるのです。

20131121_b 「さっき、あなたがやっていたこと、あれはいいね。おかあさん、うれしいよ」そんなふうに、子どものしたことにプラスの反応を示してやるのです。それが子どもにとっていちばんうれしいことであり、また大きな自信になります。そして、何かをするときの意欲に繋がっていきます。無論、いきなり変えることはできないでしょう。しかし、前述のように、親の対応や接しかたのうちにある本心を、子どもは必ず見通します。親が子どもをコントロールしようとするのではなく、子どもの気持ちに寄り添ってやれば、子どもはそれを察知しないはずがありません。20131121_c

 今、子育てを辛いものと思っておられるおかあさんはおられませんか。子育ては、世界でいちばん重要で美しい仕事です。どんな偉人も、おかあさんの子育てなしに育つことはありません。子育てこそが、他の何にも優先すべき価値のある仕事なのです。既に過ぎ去った子育ての悔やみは、今さら取り返すことはできません。しかし、今からの毎日を大事にすることこそ、親にいちばん求められることではないでしょうか。これまで何度も書いたかと思いますが、子どもはおかあさんなしに生きられないこと、だれよりもおかあさんが自分を心配し、愛してくれていることを知っているからです。

 今日の今からの子育ての毎日を、どうか大切にしていただくようお願いいたします。

Posted in 子育てについて, 家庭での教育, 玉井式

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