ライバルや手本がいる環境が果たす作用
1月 27th, 2014
学びで成果をあげるうえで重要な要素の一つに、「他者から刺激を受ける」「他者に教わる」ということがあります。ご存知のように、昔から「学ぶ」は「まねぶ」であると言われます。他者のよいところを参考にしながら自己に取り込んでいくことも重要な学びなのですね。
特に小学生までの子どもの場合、「真似る」ことは学びの中心となる大切な役割を担います。ただ理屈を教えられるよりも、誰かに手本を示してもらい、同じことを実際にやってみるほうがはるかに実になります。
中学受験に備えた勉強の場、すなわち学習塾での学びにおいても同じことが言えます。教科書よりも難しい内容の学習にあたっては、他者の考えや取り組みに学び、よい点を吸収することが大きな作用を果たします。また、常に高い次元へと進歩し続けるためには、一人で黙々と勉強しているだけではダメで、同じ目標をもった仲間と刺激を与え合ったり、競争したりすることが求められます。
学校では見かけることの少ない優秀な仲間がそこここにいて、「あいつ、すごいな!」と感心しながら、その一方で「絶対負けるものか!」とライバル心に燃えて勉強に励む。そんなふうに学んでいるうちに、気がつけばいつの間にか一段、二段上の学力に到達していることに気づかされる。もしもお子さんがそんな環境に恵まれたなら、どんなにかすばらしいことでしょう。
ただし、ライバルや手本がいれば必ずよい影響を受けるとは限りません。たとえば、自分よりも遙かによくできる秀才だらけのクラスで学んだらどうでしょう。大変な刺激を受け、みるみるうちに学力は伸びていくでしょうか(これを「栄光浴効果」と言うそうです)。
心理学者の著書に、こうした刺激が人間にどのような影響を及ぼすかを実験で調べた例が紹介されていました。ちょっとご紹介してみましょう。
その調査では、大学生に、自分と同じ学部の優秀な大学4年生についての新聞記事を読んでもらった。そこには、その人のすばらしい業績がずらりと並べられている。強制的に優秀な大学生と自分を比較させられた格好だ。そして、新聞記事を読んだ後に、「頭がよい」、「有能である」、「野望にあふれている」といった項目に対して、自分がどのくらい当てはまるのかを評価してもらった。
その結果は、調査対象者が大学1年生の場合と、大学4年生の場合とでは異なったという。調査対象者が大学1年生の場合には、優秀な大学4年生の記事を読んだ後に、自分に対する評価が高くなった。一方、調査対象者が大学4年生の場合には、自分に対する評価が非常に低くなった。
1年生の場合、大変優秀な先輩の記事がプラスの作用を果たしたのは、「自分もこれからがんばれば、あの先輩のようになれるかもしれない」という励みを得られたからでしょう。先ほどの「栄光浴効果」がうまく作用したのです。
ところが4年生の場合、同級生のすばらしい業績を知らされても、自分への励みにするどころか、「今さらどうしようもない」「自分と彼とは違う」というあきらめの気持ち、自己の無能感を引き出す結果にしかならなかったのでしょう。つまり、条件次第で効果がある場合とない場合とがあるようです。
再び、弊社の教室に通って受験勉強をしている小学生について考えてみましょう。誰もがうらやむようなすごい成績をあげる子がクラスにいたらどうでしょう。そんな優秀な子が1人、2人ぐらいなら、「とても自分はああはなれない」と思ういっぽうで、「同じクラスにあんな人がいるのは誇らしい」など、肯定的な受け止めかたをする子どもも相当数います。自分の現実と比較し、無能感に苛まれたりやる気を喪失させたりする子どもはほとんどいないと思います。
では、自分以外の大多数が圧倒的に優秀だったらどうでしょう。他の優秀な子どもたちの存在を励みにするどころか、無能感に打ちひしがれてしまうのではないでしょうか。「自分だけできない」という思いがどれだけダメージになるか、想像しただけでも辛い気分になってしまいます。
小学生の子どもは、一体に楽天的(特に男子)で、あまり自分と他者を比較し、自己卑下に陥ったりすることはありません。しかし、それでも「自分は周りの子どもたちより能力的に劣っている」と感じるような環境にいると、自己の能力への懐疑心は時間が経つにつれて強くなっていきます。
お気づきかと思いますが、他者に学ぶ、他者の存在を励みにするといっても、自分とかけ離れた能力のもち主ではプラスの刺激は得られません。自分よりも少し上の実力のもち主が一番手本として、ライバルとしてよい作用をもたらしてくれるのです。
そのことは、子どもたち自身も気づいているようで、「マナビーテスト」の優秀者のリストを見て、自分よりも常に少し上の成績をあげている子ども(会ったことも、話したこともない子ども)に着目し、仮想の目標・ライバルに見立てて心のなかで競争しているという話をよく耳にします。これなど、なかなかよい方法だと思います。「がんばれば、その子よりも上の成績に到達するかもしれない」という期待感が、努力の積み重ねを後押ししてくれるのではないしょうか。
また、同じクラスの子ども同士でも、だいたい似通った能力の子どもが互いをライバル視し、切磋琢磨しているようです。こういう友を得ると幸せです。たわいなく、「勝った」「負けた」と互いを比較しながらがんばり、もしもライバルが不振に陥ると、心配して声をかけたりしています。
こんなライバルを得るうえで、一役買っているのが「学力到達度クラス編成」です。校舎の規模にもよりますが、弊社の5・6年部はテストの成績状態を基礎資料にしてクラスを編成しています。これは、学力的に近い子どもたちを集めて授業をしたほうが、授業の的を絞れるので効果が上がるからです。その時点で「いい勝負」をする同じぐらいの実力の子どもが揃うと、クラスの雰囲気も活気が出てきます。
あるとき、「うちの子は、できる子のクラスに入れてもらっていないから、できないままなのだ。一度、いちばんできる子のクラスに入れてみてくれ」とおっしゃる保護者がおられました。親としての気持ちは十分理解できるものの、もしその要請にお応えしても逆効果を招くのは間違いありません。できる子どもの集団特有の張りつめた雰囲気に圧倒され、お子さんはますます自信を失うだけです。
心身ともに成長途上にあり、遊びたい盛りの年齢期に受験生活を送る。それは、子どもにとって楽なことではありませんが、よい学習環境を得ると人間は大変な変化を成し遂げるものです。よい手本とライバルがいる。それこそが「真似ぶ」段階にある小学生にとって最高の環境であり、自己のもつ潜在的な能力を開花させていくうえで欠かせないものなのです。
同じ人間でも、よい環境を得た場合と、そういう環境に恵まれなかった場合とでは、人生の歩みは全く違ってきます。高いレベルの知力を養うには、そういうことへの志向性が高まるような環境に子どもを入れるに限るのです。
弊社の提供する学習環境は、それぞれの子どもたちがめざす進路を得るためにあります。しかし、同じ目標をもつ仲間とともに競い、教え合い、励まし合いながら学ぶプロセスを通して、子どもたちが学ぶことへの高い志向性を携えた人間に成長したなら、そのことも受験での合格に勝るとも劣らぬ成果であろうと思います。