成績に反映される学習の取り組み その1
3月 10th, 2014
先週のブログでは、「開講してからしばらくの間は、学習の習慣を定着させたり学習方法を身につけたりすることに眼目をおき、テスト成績は参考までに留めてください」とお伝えしました。学んだことが身になるような流れを築くには、学習基盤を整えることがまずもって必要だからです。
しかしながら、誰でも勉強したからにはテストでよい成績をとりたいものです。特に進学塾では、学習の成果を試し、データを取るために頻繁にテストを行います。このテストの結果を気にしないで勉強するお子さんはほとんどいないと思いますし、まして親は無関心でいられるはずがありません。
このことを踏まえるなら、「開講後の1~2ヶ月間においては、お子さんが『家庭学習研究社の学習環境になじみ、その方針に沿った学習を通して、テストでも一定の成果が得られるようになることが当面の目標です」と、お伝えしたほうがよかったかもしれません。家庭学習研究社の提供する学習環境のもとで、所定の勉強をやりこなせるようになれば、自ずとテストの結果も伴ってくるのは間違いのないことですから。
ただし、テスト(成績)には、常識のある親をも変えてしまう魔力のようなものがあります。はじめは、優しくわが子の勉強を見守っていたおかあさんが、やがて「何でこんな点をとってくるの!」「あなたのような成績の子は、私の子どもじゃないわ!」と、感情を露わに叱ってしまうような事態に至ることも、ないではありません。そうなると、子どもにとっては努力の積み重ねが先か、テスト結果を得るほうが先か、わけがわからない混乱状態に陥ってしまいます。
そんなことにならないために、本日は敢えて開講直後の段階で「うまく行かない例」をお伝えしておこうと思います。同じお子さんが、勉強のちょっとした誤りで、伸びるものも伸びなくなってしまう例を通して、「勉強で成果をあげるにはどうしたらよいのか」について、今の段階から理解しておいていただきたいのです。
A君の例(5年生)
A君は、まじめに予習や復習をやってくるお子さんです。成績はまあまあですが、他の活発なお子さんと比べると勉強に元気がないのが気になります。しかし、特に目に見える問題がないので、指導担当者も彼には何も言いませんでした。やがて、春も終わりが近づくにつれて段々成績が下がってきました。あるとき、指導担当者はA君の勉強ぶりに覇気がなく、成績が下がってきた理由に気がつきました。授業中、練習課題などを一緒に考え、子どもたちに発表させたり、解説を加えたりしているとき、A君は消しゴムでノートに書いていた自分の式や答えを消し、書き直して赤鉛筆で○(マル)をつけていました。(後で調べたところ、ノートに間違いがあると親に厳しく叱られるらしく、それが嫌であんなことをしていたのでした。)
Bさんの例(5年生)
Bさんは、まじめでがんばりやさんです。予習や復習も一生懸命やってきています。ところが、講座が進んで学習内容が難しくなってきた秋が深まる頃、段々と成績が下がってきました。「これではいけない」と、次のマナビーテストに備えて、これ以上ないほどがんばったそうです。それなのに、成績は全く上がる様子はありません。そして、また次のテストでも同じような状態が続きました。まじめなBさんは、いよいよ友だちとの遊びも全て断り、ひたすらがんばりました。それなのに、今のところ成績は上がる気配がありません。
A君の事例も、B君の事例も、親の関わりがあるかないかの違いはあるにせよ、「勉強は、まちがいに気づくことから始まるのだ」という重要な原則がないがしろにされている点では根っこは同じです。どういうことか、少しご説明してみましょう。
A君のような事例を、4・5年生の算数担当者から度々耳にすることがあります。親としては「迂闊なミスをしないように」、「一つひとつの課題がしっかりとやりこなせるように」という期待から、×(バツ)を戒めておられるのでしょう。しかし、本来バツであったものをごまかして○(マル)にしたのでは勉強した意味がありません。自分がどこで躓いているのかを知る手がかりは、ノートへの書き込みにあったはずです。それを消したのでは、自分の思考のプロセスを辿り直すことは不可能です。また、それ以前の問題として、親に叱られるのを恐れながらの取り組みでは、伸び伸びとしたしなやかな思考が発揮されようがありません。
Bさんの事例は、せっかく一生懸命努力しても成果につながらない勉強の典型的なものかもしれません。たくさん問題を解くことに熱心なのはよいとしても、Bさんは躓いたところを見直したり、解き直してみたり、なぜ間違えたのかを調べたりするような学習が嫌いでした。テストでよくない点をとったら、そういう自分の答案を見直すのが嫌でやり直すことも避けていました。自分ができるところを熱心にやっても、それはすでに身についていることです。Bさんに必要な学習は、間違えているところに目を向け、それを克服する取り組みだったのです。
以上のように、勉強は間違いに気づくところから始まります。また、どこまでがわかり、どこからわからないかを確かめることからがほんとうの勉強の始まりです。ノートにやった問題の○(マル)つけは、わかっていることを確かめるだけでなく、自分がわかっていないところがどの部分かを明確にするためのものでもあるわけです。「予習」→「授業」→「復習」→「テスト前のまとめ学習」の過程において、たくさんの間違いや理解不足が発見され、それを考え直し、学び直すことこそが勉強なのです。つまり、間違いを見つけることから学びは始まるのに、上記の二人はそのいちばん大事な学びの要素が欠けていたのです。そこを改めれば、毎回のテストの結果は自然と上昇基調に向かうのは間違いありません。
A君のような例に多少なりとも思い当たる節のあるご家庭におかれては、間違いが見つかったら、そこからがほんとうの勉強なのだという考えのもと、お子さんが自分でやり直しをすることを奨励し、それをやり遂げたときには大いに誉め称えていただきたいと存じます。
また、Bさんのように「間違いを嫌がってやり直しを避ける」傾向のあるお子さんのご家庭にも、「間違いの発見からほんとうの勉強が始まるんだよ」と、お子さんのやり直しのための勉強を奨励していただきたいと存じます。
このことからもおわかりいただけると思いますが、予習(5・6年)を完璧にやってくることが重要なのではありません。授業の前に、自分でわかるところとわからないところを仕分けできているかどうかが重要なのです。また復習で重要なのは、惜しいところでつまずいていたり、もう少しでわかりかけていたりした部分や、ミスをしていたところの取り組みです。テキストの全部の課題を理解する必要はありません。
要するに、今の時点で割ける時間のなかで、できる精一杯をすればよいのです。やがて、また同じ単元の学習機会がやってきます。そこでまたがんばればよいのです。
なお、4年生にはノートの○つけを保護者にお願いしています。お子さんはまだ正誤についての正確な判断が難しいためです。その○つけは、叱るための時間ではなく、わが子をほめて励ますための時間になるようお願いします。また次回書きますが、そうやって家庭学習の根がしっかりと張ったなら、お子さんの受験に向けての見通しが俄然明るくなっていきます。