数学が好きな作家、嫌いな作家

4月 17th, 2014

 ある日、久しぶりに古本屋へ行って「おもしろそうな本はないか」と物色していたところ、乱雑に平台に並べられた本の中の一冊に目が留まりました。

 その本は、数学が嫌いになる理由について書かれたもののようでした。それだけでは購入の動機にはならないのですが、表紙には数学の劣等生だった何人かの有名な作家のことが、裏表紙には同じように数学が得意だった小説家のことがコンパクトに紹介されていました。そこで手にとって内容を点検し、「これはめったにお目にかかれない本だぞ」と思い、買って帰ることにしました。20140417

 著者は某国立大学の教授(学習心理学)で、数学の教師の経験をもつ人物でした。この本は、「数学嫌いは素質的なものか」という問題と、「作家はみな数学が不得意なのかどうか」という問題を扱ったものでした。後者のテーマは、作家の伊藤整(故人)が「ほとんどの文士は数学が不得意である」と述べていることに着目し、「果たして本当かどうか調べてみたい」と思ったのがきっかけのようです。

 以下、早速数学が嫌いな作家、好きな作家に関する著述をご紹介してみましょう。なお、この本はかれこれ30数年前に出版されており、取り上げられているのは明治~昭和後期までの作家です。調査した作家は、全員故人であることを予めお断りしておきます。また、今回ご紹介するのは本に取り上げられている人物の一部です(なるべく知名度の高い作家を選びました)。

●数学が不得意な作家

<夏目漱石> 駿河台の成立学舎に通ったころ、テキストが原書のためもあったが、英語に苦しんだ。また数学にも苦しめられた。大学予備門に入ってからも、英語と数学に苦しめられ、成績は下がる一方で、予科三年のとき落第した。(「評伝、夏目漱石」荒正人著)

<正岡子規> 予備門に入学してから、最も困ったのは数学であった。数学の時間に教師は英語で説明した。それがわからなくて非常にむずかしかった。つまり、数学と英語の二つの敵を一時に引き受けたため、学年試験に幾何で落第した。 (「子規全集第八巻」)

<石川啄木> 盛岡中学三年ごろから文学書を読みふけり、学業をかえりみなかったので、学業中、特に数学のようなものは全く理解しなかった。 (「作家論」伊藤整著)

<北原白秋> 十五歳の時、旧制中学三年進級の際、幾何の成績が悪く原級にとどまる。 (「明治文学全集74  明治反自然主義派」)

<長与善郎> 小学校時代は他の教科は何でもなかったが、数学だけはへんに苦手で、学習院の初等科から中等科へ移る時、七番の席次を占めながら、算術の点だけが悪いため落第した。長与家は世に知られた秀才ぞろいであって、父親はいつも「大事なのは数学だ」と言っていたが、数学はどうしても考えが集中せず、つい他のことを考えてしまうのだった。 (「わが心の遍歴」長与善郎著)

<林芙美子> 学科のなかでは数学が不得手で、国語、地歴がよくできた。後に、日本橋の株屋の事務員になったが、複雑な数字の帳簿つけをさせられ、数学の下手な彼女は一日で断られた。 (「婦人作家伝」板垣直子著)

<高見順> 旧制中学時代、幾何の点や線の定義に苦しんだがそれについて彼は、「自分の実感的経験が所有的理解にまでならないためではないか、それは具体的な物事のその本質に対する抽象的認識力、すなわち抽象的思考の弱さの故だ」と言っている。 (「国文学、解釈と鑑賞」)

<石坂洋次郎> 大正二年弘前中学に入学したが、補欠入学。学科では、数学、物理、化学、英語、習字が不得意であった。 (「日本文学全集、石坂洋次郎」

<井上靖> 旧制高校時代は理科の学生だったが、自分が全く科学方面に向いていないことを知った。物理も化学もそれを理解する上に必要な根本的な何かが欠けていると考え、大学は、理科系の者にも門を開いていた九大の法文学部に入った。 (「日本の文学、井上靖」)

<小林秀雄> 小学校以来の友人雀部利三郎の回想によると、英語と国語はズバぬけてできたが、数学は不得意であった。父は東京高等工業(今の東京工大)の数学教授であった。 (「最後の神様、小林秀雄」草柳大蔵著)

 ●数学が得意な作家

<幸田露伴> 九歳で小学校に入り、成績極めて優秀で、最も得意な学科は算術であった。数学は小学、中学を通じて最も成績がよかった。後に、電信修技学校に入ったが、ここでも、数学が得意で、与えられる問題が容易すぎたという。 (「幸田露伴」塩谷賛著)

<与謝野晶子> 女学校時代の晶子は帳場格子の中で、帳簿つけをしながら、父の蔵書、中でも日本の古典を好んで読んだ。学科では作文と数学が好きで、特に代数が得意であったが、裁縫や家事など苦手だったので、成績はいつも中位だった。 (「与謝野晶子書誌」入江春行著)

<堀辰雄> 東京府立三中時代は数学を好み、蘆花、藤村、鏡花などの小説を読んだ他は、あまり文学書に親しまなかった。中学四年終了で一高理科乙類に入った。理乙はドイツ語であるが、彼はフランス語も独学して、英仏独の書物を自由に渉猟することができた。しかし、肝心の数学、物理などから次第に遠ざかって文学のほうに向かい、大学は国文科に入学した。(「日本文学全集、堀辰雄集」)

<安部公房> 奉天中学時代、世界文学全集を耽読した。学科では語学が苦手であったが、数学を得意とし、昆虫採集、構成派風の図案をかくことが好きだった。 (「日本の文学73、安部公房」)

<大岡昇平> 数学が好きで、中学三年まで級でトップにいた。代数より幾何が好きであったが、解析に入ると(当時は代数の延長のようなものであった)代数も面白くなった。しかし、高等学校の三次方程式の解法や微積になると面倒になったけれども、数学についての関心は強く、後で、『文科の数学』やガウスの群論などを読んだ。(本人からのアンケート回答)

<北杜夫> 小学一年のとき、先生から「君は算術の神様だ」といわれた。旧制中学時代も数学が好きで、四年頃ある数学の先生が毎時間模擬問題を黒板に書いて、一番早く解いた者に、黒板に解答を書かせたが、黒板に出て行く常連三人の一人であった。(「どくとるマンボウ小辞典」、北杜夫著)

 数学が嫌いな作家のうち、漱石や子規の場合は英語で数学の授業が行われたことも多分に影響していると著者は述べています。

 この本の著者は、作家の数学に対する「好き」「嫌い」を調査するにあたり、文芸年鑑に登録されている作家全員(655名)にアンケートを実施し、「最も好きだった科目」「全般的学業成績」「数学教育に対する意見」を尋ねています。回答数は364(52.8%)だったと報告されています。これは、新聞社の実施する一般的な世論調査の回答率よりもやや高いそうです。作家って、意外と律儀で几帳面な人が多いのでしょうか。それとも、ユニークな企画が小説家の好奇心を刺激したのでしょうか。

 次回は、作家が答えた「数学嫌いの理由、数学好きの理由」をピックアップしてご紹介しようと思います。ただし、このブログの趣旨に添い、最終的には子どもたちの数学力の形成に役立つ話にまとめていけたらと考えています。いつもと違った毛色の記事なので、戸惑っているかたもおられるかもしれませんが、あと2~3回おつきあいいただければ幸いです。

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