家庭学の先生は年輩者が多い?
4月 24th, 2014
今週月曜日、このブログの累計閲覧数が60万件を超えました。2008年11月に開始して5年数ヶ月になりますが、このような地味な内容のブログにかくもたくさんの方々が目を向けてくださったことに、心より感謝申し上げる次第です。弊社の保護者の方々の他、様々な方々が読んでくださっていることを人伝に耳にしておりますが、少しでもお役に立っているならこれ以上の喜びはありません。
さて、今回の話題です。みなさんは、 “進学塾”の先生にどんなイメージをもっておられるでしょうか? 風貌、物腰や雰囲気、服装、年齢、男女比など、何か特別なイメージをおもちでしょうか。
ときどき、「家庭学習社の先生は、~」「家庭学の先生って、~」といった言いかたで、弊社の指導担当者に対する感想を保護者がおっしゃることがあります。お褒めの言葉もありますが、若干苦言のニュアンスの指摘を受けることもあります。
あるとき、こんなことを言われました。「おたくの先生って、こう言っちゃ失礼かもしれませんが、年輩の人が多いですよね。でも、そのほうが親としては安心できるんですよね」――これは、よい意味に受け取っていいのでしょうか。筆者は、性格のせいか言葉を割と額面通りに受け止めています。実は、「家庭学習研究社の先生」という話題で筆者が一番多く耳にするのは「年輩者が多い」という指摘です。
それは、一般的に「進学塾の先生には若い人が多い」というイメージがあるからかもしれません。おそらく、塾の先生が夜遅くまで働く仕事であり、ましてや厳しい受験に勝ち残るために通う進学塾ともなると、先生にはアグレッシブな指導や体力が不可欠の要素として求められるという側面もあるでしょう。それで、「若い人でないともたない職業」というイメージが形成されているのかもしれません。
さて、家庭学習研究社の先生は実際のところどうなのでしょう。まず、6つある校舎の責任者の年齢ですが、一番の高齢者は既に60歳に達しています。一番若い責任者で43~44歳。うーん、改めて思いますが、学習塾としては異例なほどの年長者集団です。因みに勤続年数ですが、30年以上の者が2人いて、一番少ない者で17~18年です。
無論、指導の現場に立つ者は校舎の責任者以外に多数います。一般の指導担当者の年齢はと言うと、これも決して若くはありません。無論20代もいますが、30代40代が中心でしょうか。50歳以上の者も結構います。
なぜ体力勝負の厳しい世界の中で、弊社の先生だけ(筆者の誤解かもしれませんが)年齢が高くてもやっていけるのか。それは、40数年前の発足期からの経営者の考えが伝統として受け継がれているからではないかと思います。
たとえば、「時間や労力を頼みにするような指導をするな」「専門性を磨け」「いくら指導をする者が汗を流して必死でも、子どもを必死にしていなければ何の意味もない」「授業は、指導する側の満足のためにあるのではない。授業を受ける子どもが知的な喜びを味わい、満足するためにあるものだ」などの教えです。
こうした教えの根本にあるのが、「自学自習のできる子どもの育成」という指導方針です。ふだんの授業を通して「勉強のおもしろさにふれる体験」「理詰めで解き明かす楽しさを体感する体験」「勉強の方法や段取りを学ぶ体験」を提供し、それによって「自ら学ぶ姿勢」・「自分で学ぶ術(すべ)」を一人ひとりの子どもが身につけるよう導くのです。
こうした方針に基づいた授業は、自ずとぐいぐい子どもを引っ張るスタイルの授業、入試やテストに出る重要事項の暗記をさせる指導とは一線を画すものになっていきます。子どもたちに語りかけ、単元の基本となる重要な事柄について一緒に考え、大切な考えの切り口を子ども自身に発見させるような授業の実践を心かげるようになります。これが、「パンチはないが、穏やかな家庭学の先生」のイメージを形成しているのだろうと思います。
こうした授業手法を完璧に実践できればよいのですが、そうそううまく行くわけではありません。単元によっては、子どもたちの興味を惹くのが困難な場合もあります。しかし、前述のような指導で成果をあげようと心がければ、次第に授業の技量も上がっていきます。その結果、体力は若いころのようにはなくても、十分に指導現場を任せられる先生に成長していけるのです。
保護者の方々はお腹立ちになるかもしれませんが、かつて弊社の経営者は私たち指導現場に立つ者に、次のようなことを言っていました。「きみたちは保護者の方々にもっと感謝しなければならない。わざわざお金を払って、私たちに生きがいの種を寄こしてくださっているのだ。十分な指導ができなかったら、己の未熟を反省し、次の子どもたちの指導でお返しをしなさい」と。
昨年の12月、筆者は入会予定の家庭、入会を検討されている家庭向けの「説明会」で、保護者に話をする機会がありました。すると、説明会の終了後に書いていただいたアンケートに、「30年前に先生の授業を受けました~」というおかあさんのコメントがありました(正確には、27年ぐらい前だと思います)。そのかたのお名前を見て、未熟者だった自分の授業を一生懸命に受けてくれていた彼女たちのことをいろいろ思いだし、有り難いやら申し訳ないやらで、しばらく言いようのない感慨に襲われました。
今、筆者は広報の仕事ともう一つ大きな仕事を引き受けているため指導現場を離れていますが、前述のような経営者の言葉を指導現場にいる者全員が受け継ぎ、家庭学習研究社のめざす指導のよき実践者になってもらいたいと心から願っています。進学塾が、「若くなければもたない職場」ではなく、「年と経験を経るほどに人生が充実する職場」になれば、塾で学ぶ子どもたちも様々な恩恵に浴することができるでしょう。より質の高い指導が受けられるのですから。
学習塾は、学校と違って「学力形成」に特化した場所です。だからこそ、学習塾の先生は、「学習指導」の真のスペシャリストであらねばなりません。また、入試に受かるための学力にとどまらず、真の学力が身につくような指導を実践すべきです。それが保護者の期待に他ならないのですから。弊社の指導担当者には、常に自分の技量に満足せず、真摯に仕事に向き合い、そして勉強を怠らず、子どもたちの望ましい成長に資する学習指導の実践者になってほしいと願っています。
もし、指導現場に立つ者がそれをめざすなら、5年や10年程度で一人前の先生になれたと思えるはずがありません。「家庭学習研究社に通ったら、子どもの学習姿勢が変わった」と、全ての家庭に認めてもらえるレベルをめざして、何歳になっても努力を重ねていかねばなりません。
このことは、弊社の指導担当者に限らず、全ての学習塾の先生にも当てはまると思います。一人ひとりの先生が、常に向上心を失うことなく指導力を高める努力を続けていけば、子どもたちにとってかけがえのない存在になります。それがその先生の存在価値を高め、所属する学習塾の評価にもつながり、ひいては学習塾全体のステイタス向上にも貢献していくことでしょう。
保護者の方々に「おたくは年輩の先生が多い」という指摘をいただくことが真の誇りになるよう、指導担当者一同がんばってまいりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。