数学とは何か その2
5月 7th, 2014
前回に引き続き、数学とはどのような学問かについて、ともに考えてみようと思います。
前回は数学のもつ特性について、三つあげたところで終わりましたが、その中で、「数学の論理性が数学を好きになる理由となるとともに、数学を嫌う原因にもなる」ということについてご紹介したのを覚えておられるでしょうか。
このように、数学のもつ特性をどうとらえるかが数学好き、数学嫌いの分かれ目になるようです。そう言えば、以前「算数好きの子どもは、答えが一つである点を理由に挙げ、国語好きの子どもは、答えがいろいろある点に魅力を感じている」ということをご紹介したことがありますね。子どもたちには、教科それぞれの特性とよさを上手に感じとらせる教育を通して、勉強に親しみ、熱心に取り組む姿勢を引きだしてやりたいものですね。
さて、「数学はどのような学問か」の後編です。
④ 数は科学の言葉である。
「数、それは科学の言葉である」――これは、数学者トビアス・ダンツィク(1884-1956)が語ったものだと言われます。
同じようなことは多くの数学者が述べているようで、この本の著者はランスロット・ホグベン(1895-1975)の言葉を引用して「数学は科学の言葉である」という数学の特性を説明しています。
数学は一つの言語である。普通の言語は「種類」の言語(sort language)であるが、数学は「大きさ」の言語(size language)である。「種類」を取り扱うのと、「大きさ」を取り扱うのとの質的な相違はあるが、両者の間には同じような文法的構造を見出すことができる。すなわち、数学にも普通の言葉と同じように、名詞、動詞、形容詞、副詞、接続詞に該当するものがある。
たとえば、名詞にあたるものは数である。数の中にも固有名詞、普通名詞、代名詞にあたるものがある。そのわけは、アブラハム・リンカーンという固有名詞が唯一人の人を示すように、あるものの大きさを示す数は唯一つしか存在しないからである。ただし、その同じ大きさを5±0.5のように示すと、普通名詞となる。代名詞にあたるものは、π、eなどがある。一般のaとかbの文字数は、集合名詞、また抽象名詞とみることができる。
さらに、「+」「-」「×」「÷」の記号は、数の動詞であり、「=」は不定動詞である。したがって、今、aは長方形の縦、bは横、Aはその面積とすると、次の等式、a×b=Aは名詞と動詞によって構成された、一つの意味をもつ文章とみることができる。すなわち、上記の等式は、「長方形の面積Aを求めるには、縦aと横bを掛けなければならない」ということを意味している。これを分解、照合すると、次のようになる。
(文章) | (等式)
縦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ a
掛ける ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ×
横・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ b
求めるには・・・・・・・・・・・・・ =
面積・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ A
いささか内容がマニアックになってしまいました。途中ではありますが、「数は科学の言葉」についての説明は、ここまでにしようと思います。ともあれ、数学者の多くはこうした数の言語性に惹かれてこの世界に入っていったのでしょう。
なお、この話題に関連して「言語能力と数学の成績」についての研究結果が紹介されていました。こちらのほうに興味をもたれるかたあるでしょう。ちょっとご紹介しましょう。
京都大学の研究調査によると、小4、小6、中1までは言語能力の優れた者が成績もよいということがわかったいっぽう、中3、高2になると、数学学力は言語能力以外のファクターとの相関が高くなっていくそうです。
つまり、言語能力が数学の成績に直結するのは中学前半頃までで、それ以降は言語以外のファクターと関係が深くなるようです。また、直径、垂直、距離など、算数の用語の理解度と算数学力にも密接な関係があり、小学校までの算数学力と言語能力には深い関係があるのは間違いないようです。
以前ご紹介した作家へのアンケート調査に、「初めは算数・数学が好きだったが、いつしか嫌いになっていった」と答えた例がかなりありましたが、これも算数・数学学力と言語の関係が薄れていく過程で生じているのかもしれません。
⑤ 数学は美しい。
数学者へのアンケートの回答の中に、数学の好きな理由としてかなり多かったのが「数学の美しさ」に言及するものだったそうです。一部、ご紹介してみましょう。
・数学の美しさ。
・論理的構成の美しさに魅せられた。
・論理が厳密で美しいと思った。
・数学の論理的構成の美しさを知った。
・数学の整合性の美しさがわかったこと(小学校時代はやればできたが無味乾燥)
・構造の美
・数学は特に興味あり、学年を越えて先にすすむ
・学問の王様という感じがした。
数学教育における指導のコツとして、この数学の美しさを踏まえたものも少なくありません。
・数学を美しいものとして、相手にもとらえさせること。
・数学の理論の美しさを知らせたい。
・推論の面白さ、対象の美しさを教えること。
・考える楽しさを味わわせる。数学がきれいだという共感を味わわせる。
・本質を見きわめる喜びを与えること。
数学は美しい。これは、数学という学問に魅入られた多くの人々の共通の見解のようです。筆者のような数学嫌いにはついに見出すことのできなかった視点ですが、この記事のネタを提供していただいた本の著者は、「まことに、数学は人類が生み出した美しい論理の殿堂である」と述べておられます。
ボルテール:神の声とともに混沌は消え、玲瓏たる天界が目前に現れたようなものである。この種の美観は壮麗な音楽から生ずるものと似通ったところがある。(フランスの文豪)
中谷宇吉郎:アインシュタインの相対性原理の式の中には、自然の森羅万象が、時空のただ四つの座標系として納められている。数学はもっとも簡潔な形で、広い内容を表現できる言語である。この言語で書かれた「文学的傑作」のもつ美しさを解し得るのは、この言語を解し得る人だけに許される特権である。(雪の研究で世界的に知られる科学者)
ファーブル:一分のすきもないきちんとした数の世界の美しさ――これを規則の形で言い表した詩ともいうべき代数学は、すばらしい熱で空をかけていく。わたしは代数の公式をすばらしい詩の一節のように感じる。(『昆虫と暮らして』より)
以上は、数の織りなす世界の美しさを表現した有名人の言葉です。数学の美しさについては、幾何の中に見出している人々も少なくありません。またまた長くなってしまいましたので、数学の美しさについてはそろそろこれで終わろうと思います。
最後に、彫刻家の高村光太郎の著作、『美について』の一節が抜粋されていたのでご紹介しましょう。
美が元来健康であるといふのは、美の本質がもともと比例均衡に基づいているからである。比例均衡といふのは人間精神に於ける審美性のもっとも原始的な要素であり、又同時にもっとも根底的なものであり、此を欠いては美は成立せず、しかも此のみで美が立派に成立する力をもってゐる。言はば美の成立に関する限り、必要にして十分なる要素である。
以上、数学という学問の特性を形づくる5つの項目をみてきました。子どもをもつ親の多くは、「算数・数学のできる人間に育ってほしい」と願うものです。どうすればそれが実現できるか、そのヒントがこの5つのなかに見出せるような気がします。近々、この点に的をしぼって情報を提供したいと思っています。