男の子に‟自信”を吹き込むおかあさんに!
8月 25th, 2014
8月20日未明、広島市北部ですさまじい雨が降り、安佐北区や安佐南区の山のすそ野にある多くの民家が土石流に押し流される事態が発生しました。命を落とされたかたの数は、日を追うごとに増え、かつてないほどの大規模な被災となりました。お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
当ブログの掲載につきましては、1週間の休載も検討いたしましたが、おかあさんがたの子育て支援を軸とする内容でもあり、予定通りの掲載に踏み切りました。ご理解、ご了承のほどお願い申し上げます。
前々回は、「男の子は、無理やり勉強させるべきか」ということについて書きました。理由は、男の子は真面目にコツコツ積み上げていくような勉強を嫌がるケースが多いこと、気が散りやすく落ち着いて一つのことに専念するのが苦手であることなど、子どもの自覚的取り組みを尊重しようとするとうまくいかないことが多いからです。
このように、男子と女子は単に性的に異なるということだけでなく、行動の様式や能力面、行動の適性などにおいても違いがみられます。無論、男子と女子の違いはすべての人間に当てはまることではなく、全体的な傾向としての話ですが、それでもはっきりとした違いを感じる面が多々あります。
たとえば何年か前、TVのCM撮影のために6年生児童に協力をお願いしたことがあります。教室でいったん撮影を終えた後、マイクロバスで別の場所に移動したのですが、バスのなかの女子と男子の様子の違いに驚きました。女子は女子同士の会話で盛り上がり、ファッションやジャニーズ系歌手のことで話が尽きないようでした。一方、男子のほうは全員静かに口を閉ざし、黙って車に乗ったまま。まるで女子の勢いに気圧されているかのようでした。
このことからもわかるように、精神年齢、言語習得や言語活動においては、女子の発達のほうがかなり早く、同い年の男子との口喧嘩で女子はまず負けることはありません。また男子は、物語文に登場する人物の心情理解などの点で女子よりも理解力が劣ります。特に、思春期の子どもの微妙な心理、たとえば異性に対するあこがれや好意、親に対する反発といったような、曰く言い難い気持ちを理解するのは難しいようです(そんな男子児童も、思春期を迎えると様変わりするのですが)。
そういえば、男子には女子ほどの共学志向がありませんが、その理由を聞いてみると、「男子同士のほうが気軽でよい」とか、「女子に頭を押さえつけられたり、口でやり込められたりしなくて済む」など、前述のような男女の発達カーブの違いからくる女子コンプレックスが垣間見えてきます(前述の言葉は筆者によるもので、子どもは「女子はキョウボウだ!」「女子はむかつく」などと言っていたと記憶しています)。
このことからもおわかりいただけるかと思いますが、少なくとも思春期以前においては、同い年の男子は女子にとって頼りなく幼稚で、口喧嘩の相手としてすら物足りない存在のようです。お宅のお子さんはどうでしょうか。
ここから、今回書こうと思っていた内容に移ります。前述のように、男子の場合精神年齢の発達が女子よりも遅れており、おかあさんからみると何かにつけ「自覚が足りない」、「実行力が足りない」、「やる気がない」といったように見え、その結果やることなすことすべてが不満に思えてくるものです。しかし、それは男子の発達カーブの遅れから言って当然のことだと認識すべきではないでしょうか。
つまり、おかあさんの目から見て十分でないのは男の子だからであり、叱って子どもの反省を引き出そうとするだけでは不満の原因は解消できません。
日本の子どもの欠点の一つに、「自分に対する自信がない」ということが国際比較調査の結果で明らかにされています(すでに何度かこのブログで話題にしました)。その理由の一つに、「日本のおかあさんが、子どもの成長の様子に不満を示す傾向が強い」ということが指摘されています(詳しくは、6月23日掲載の「愛ある"声かけ"が子どもを変える! その1」でご確認ください)。
自分の理想とするレベルを基準にすると、わが子のしていることや現実のすべてが不十分で落第に見えてしまいます。しかし、それを基準に評価したのでは子どもは自信を失うだけ。やる気も湧いてこようはずがありません。もしも男の子をおもちで、わが子の状態に頭を抱えているかたがおられたら、次のような点に留意し、がんばってみていただきたいと思います。
この三つは、別に男の子のみに当てはまることではありません。しかし、精神年齢が女の子よりも1~2歳くらい低く、自分を客観的にみる姿勢も未熟な男の子にはことさら必要な親の働きかけであると思って書いた次第です。
小学生までの子どもは、親からの評価がそのまま自己評価に反映されます。「今のままじゃ、ほめるところなんてない」と親が思い、ほめない状態が続くと、子どもは確実に自信を喪失していきます。ある有名な教育学者は、「ほめるという行為は、がんばったことの対価としてあるのではない。親がわが子をほめるのは、わが子の頑張りを引き出すためなのだ」と語っておられます。親が子どもをほめる行為は無償の愛に基づくものなんですね。ほかの誰でもない、大切なわが子だからこそ、頑張りのエネルギーを吹き込んでやらねばなりません。そのための一番の手段は、「親がわが子をほめること」なのです。
「すべては能力次第で決まる」と考えるか、「勉強次第で人間はやれることがどんどんレベルアップする」と考えるかで、子どもの取り組みは大きく変わります。やるべきことをやらないでいると、どうしても前者のような考えかたに行き着いてしまいます。そうならないうちに、親は努力の大切さを子どもに強調し、努力すること自体をほめてやりながら、「やれば、やったなりの結果が得られる」という実感を子どもに得させてやることが必要です。実際、「学習を繰り返せば、脳で新たな神経結合が発生し、以前は解決できなかった課題を自分で対処できる能力が獲得される」ということであり、もともとの資質だけで「できる・できない」が決まるわけではありません。どんな小さなことであれ、子どもが自発的に何かをしようとしたなら、親は大いにほめたたえてやりたいものです。そこから、自信とやる気が芽生えてくるのですから。
自分のことであるにも関わらず、男の子は無頓着で自覚が足りないように親には見えるものです。テストで失敗しても、それを悔しいと思い、原因を自分なりに振り返って対策をたてるようなら問題ないのですが、そういう様子が見られないと、大概の親はあれこれ先回りをしては指図をしてしまうものです。しかし、それはいくら繰り返しても子どものためにはなりません。イライラする気持ちを抑え、子どもにテスト結果がそうなった原因を考えさせ(あるいは一緒に考え)、「次はどうしたらよくなると思う?」と、子どもなりの対策法を考えさせるようにしたいものです。不十分でも、自分で考えたことなら子どももいくらかは実行に移せるでしょう。そうやって、子どもに「自分で原因を考える」こと、「自分で対策を考える」ことを経験させることが、やがて入試が近づいたころに生きてきます。
男の子は幼稚でやることが心もとない。これは、女子と比べた場合の相対的な傾向であり、なかには精神年齢が高く素晴らしい取り組みをする男の子もいるものです。しかし、おかあさんの悩みの種になるのは圧倒的多数の前者のタイプ。程度の差はありましょうが、少しイライラしておられるおかあさんがおありでしたら、少しでも参考にしていただければと思って今回の記事を書いてみました。