目先の受験結果にこだわらない
12月 22nd, 2014
わが子に受験をさせる以上、「最高の結果を」と親は願います。また、たとえ見通しが厳しい状況に至っても、「せめて第二志望には」と、大概のかたは念じるでしょう。それが親心というものです。
ですが、そういう思いが強過ぎるあまり、テスト対策しか眼中にない生活を子どもに強いると、却って受験がマイナスの作用をもたらすことになりがちです。
たとえば、受験一色に染まった生活で志望校合格を得たとしても、「もう勉強はこりごりだ」と子どもが心底思ってしまったならどうでしょう。中学入学後、いよいよ本格化する学業の道でうまくやっていけるでしょうか。
大人にハッパをかけられ、学習メニューの一切合財を大人にあてがわれて受験を通過した子どもは、中学進学後たちまち壁にぶつかってしまいます。進学した中学校の教育環境が高レベルであればあるほど、子どもの自立心や自己統制力、段取り力などが問われるからです。そういう学校の授業は押しなべて高度であり、家庭学習との連動が必須となります。他力本願でやっと受かった生徒は、よほど気持ちを切り替えてがんばらないと取り残されてしまうのは必定です。
「受からなきゃ、何も始まらないじゃないですか!」――これは、筆者があるおかあさんとの電話のやり取りの際に言われた言葉です。詳しいことは忘れてしまいましたが、「もっと、合格に向けて厳しく指導してほしい。もっとたくさんの問題、難しい問題に取り組ませてほしい」といった要望を受けていたときのことだったかと記憶しています。
このように、「とにかく目の前の合格を手に入れなければ、子どもの明日は危うい」と思い込んでしまうと、肝心の受験の主役である子どもの現実が目に入らなくなります。「ほんとうに受からなければ何も始まらないのか」「今の取り組みや学力で受かることが、果たしてわが子のためになるのだろうか」といったように、親の思いを客観的に見つめ直すことも必要ではないでしょうか。
次にご紹介する文章は、20年あまり前に心理学者が書いていたものです。親心の向けかたについて、参考になるのではないかと思います。
親はわが子をいい学校や会社に入れようとします。それも無理のないことですが、もしその希望がかなわなかったとして、自分が入った学校や会社を自分の努力で良くする意欲を持った子どもに育てたいものです。
いまは、子どもをいい容れ物に入れてその優秀さを誇ろうとする傾向が強く、入った容れ物を自分の力でいいものにしようとすることを忘れています。もともと、いい学校や会社はその中の人の努力でそうなったのですから、意欲のある人間であれば、どういう容れ物に入ってもそういう努力をするはずです。
いい容れ物に入ることができた人は、その容れ物で満足し、そうでない容れ物に入った人はますます意欲を失ってしまう傾向が強いのは、容れ物だけを重視する子育ての姿勢に一つの原因があると思われます。
近年は少子化が進み、たいていの家庭は子どもが一人か二人です。子ども一人にかかる期待は、かつてのそれよりもはるかに大きいことでしょう。
一方、今日の子どもたちが参入する社会は、学歴だけで通用する時代がとうに終わり、本物の実力がないとやっていけなくなっています。21世紀の高度な情報化社会、グローバル社会は、「学歴+本物の実力」という難しい要求を若者たちに突きつけています。「英語ができないと通用しない」と言われ、必死に英語をマスターしても、いざ社会に出ると英語ができるだけでは自分を通用させることができず、「本当に必要なのは人間力だ」ということを思い知らされます。
では、親はどういった視点で子どもの成長を見守り応援すべきなのでしょうか。筆者はそうした方面の専門家ではありませんから、たいしたアドバイスはできません。しかし、中学受験を視野に入れておられるご家庭の保護者なら、どうしても考えるべき問題だと思います。
筆者が少なくとも思っているのは、「子どもが自分でできる最善の受験対策をして受験に臨ませる」ことが重要だと思います。無論、親子の話し合いや親からの助言は大いに必要です。しかし、親として心配な点にあれもこれもと立ち入るのは、子どもの思考錯誤を通した成長の機会を奪ってしまいかねません。
子ども自身の努力を尊重する受験は、ひょっとしたら大人がとりしきった受験よりも結果が伴わないかもしれません。しかし、それでも勉強は子ども自身にやらせたほうが子どものためになると思います。なぜなら、子どもが自分でできる精一杯の学習で得た教育環境こそ、その子どもの中学校入学時点で最もふさわしいものだからです。
自力で受かった学校なら、授業のレベルは子どもの現実に最もマッチしている可能性が高く、背伸びをする必要がありません。学習の進度についていくことに汲々とすることなく、伸び伸びと学べるでしょう(これは筆者自身、わが子の受験と進学で確信したことです)。「ついていけない」という気持ちに耐えながらの学習生活は、子どもの自信ややる気を確実に蝕んでいくものです。それが子どもの将来にとってどれだけマイナスになることか。
下の図を見てください。広島の私学は入試日がほとんど重なりませんから、受けたい私学は大概受けられます。また、重複合格した場合、多くの受験生は偏差値の高いほうを選んでいます。その結果、入学時の生徒の平均学力は、学校ごとに切りそろえたかのように違っていることが予想されます。
しかしながら、入学時の学力差は中学・高校生活を送るうちに変わっていくのが普通です。中学校入学時には、A校の生徒の殆どにかなわなかったC校の生徒が、大学を受験する頃にはA校の優秀な生徒に全く引けを取らなくなっているケースも少なくありません。それは、大学入試の学校別の実績を見れば明らかでしょう(上図は、状況をわかり易くするためにかなり乱暴に単純化して示しています)。
親が思い描くべきは、わが子が独り立ちをする段階、すなわち大学を出るときの姿ではないでしょうか。いよいよ社会に参入するにあたり、希望に燃えた一人前の成人になっていなければ、学歴も意味を成しません。
では、子どもの自立への流れはいつ築くべきでしょうか。率直に言って中学校進学後では難しいと思います。なぜなら、このブログの冒頭においても若干ふれたように、レベルの高い教育環境においては、カリキュラムの進行がはやく学習内容は高度です。学習の態勢づくりを一から築き直す余裕はないと思ったほうが賢明でしょう。
第一、学校に授業を理解できるレベルまで学力面の補充をしてもらったり、家庭学習のメニューを個別に提示してもらったりすることなど不可能です(建て前的には、そういった必要性のない生徒を採っているのが私立の進学校です)。だからこそ、中学受験のプロセスは、自立に向けた成長の場であらねばならないのです。「とにかく合格さえすれば、後は後で何とかなるだろう」といった考えは通用しません。
いっぽう、自学自習を旨とした学習と受験を通して進学したなら心配無用です。広島の最高峰の私学に進もうが、他の学校に進もうが、自分の力で這い上がれる術(すべ)を身につけた生徒は、与えられた教育環境のもとで必ず輝きを放ちます。たとえ高いレベルの自学自習には至っていなくても、その時点で到達した水準に応じた中学校に進学すればよいのです。
そうすれば、すべてのお子さんの未来に明るい見通しが立つのではないでしょうか。何よりも、自分を悲観して投げやりになったり、無気力になったりする恐れがありません。親にとってはわが子がいちばん。だからこそ親は、わが子の現状を冷静に見つめ、そうしたことも考慮すべきだと思います。
無論、受験生一人ひとりにとって、最高の入試結果がもたらされることがいちばんです。誰もがそれをめざして厳しい受験生活を送るのですから。自分でできる最善を尽くした結果、受験校の全てに受かったなら、どの中学校へ進学するかはもはや問題ではありません。どの中学校に進学しても前途は可能性に満ちていることでしょう。
しかしながら、たとえ進学の希望が叶わなくても、子どもが受験のプロセスを通して自分に手応えを感じたとしたら、何ら悲観することなどありません。この収穫のほうが、長い人生においてはどの学校に進学するかよりもはるかに自分の助けになるものなのですから。
親はどうしてもわが子の早咲きを願います。また、目の前の関門突破が全てのように思い込みがちです。しかし、子どもの将来に大きな期待を抱くなら、もっと先の能力開花も視野に入れながら、受験の乗り越えかたを考えるべきではないでしょうか。それが、遅咲きで頭角を現した多数の生徒さんを見てきた筆者の偽らざる気持ちです。
この記事は、わが子の現状に心が揺れておられる保護者のために書きました。小学生の子どもの受験勉強ですから、親が黙ってみていられなくなるのは当然だと思います。ですが、親は何を手助けすべきかを見失うと元も子もなくなってしまいます。受験のプロセスで得られるいちばんの価値は何か。それを、見失わないでいただきたいという思いをお伝えいたしました。保護者の方々にとって、多少なりとも参考になれば幸いです。