小学生時代の学びが人生を決める?
6月 1st, 2015
夏期講座の募集活動の開始を目前に控え、いよいよ忙しくなってきました。この原稿は、5月29日(金)に書いていますが、明日30日にはホームワークコース(1~3年生)の「親子勉強会」が控えています。それにも足を運びますので、なかなかじっくり書くことができません。そういうわけで、今回は思いついたことをダラダラ書くだけで終わってしまうかもしれません。ご了承をお願いいたします。
こうした事情をご説明することでもお分かりいただけるように、本ブログは日誌的な色彩は薄く、厳密な意味でのブログではありません。まあ、お子さんの学力形成にかかわる様々な話題を、ほかの媒体ではお伝えできないようなことも含めて発信する場なのだとご理解ください。ブログを始めたいきさつについては、すでに何度か書きましたね。
それでも、始めて6年半ほどで85万ビューに達しました。記事数は500を超えました。それもご存知のように、他にあまり見られないほど(あきれるほど)の長い文章のブログですから、総文字数たるや凄いことになっているに違いありません。「塵も積もれば山となる」ではありませんが、積み重ねること、継続することの大切さを改めて痛感させられます。読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。読んでくださる方々あってこそ、こんなにも続けてこられたのだと思います。
子どもたちの勉強も、まさしく「積み重ね」と「継続」が求められるものです。特に小学生時代に繰り返し体験することは、脳の成長のありようと深くリンクしています。わが子の今の勉強が、プラスの成果、つまり望ましい脳の成長につながっているかどうかを、保護者の方々はときどき振り返ってみてはいかがでしょうか。
今述べたことを裏返して表現すると、「今やっている勉強が、マイナスの成果、つまり脳の健全な成長のさまたげになってはいないでしょうか」となります。子どもがどんな勉強をするかについては、われわれ大人がそうさせていることが多いものです。受験勉強は合格をめざしてするものですから、ともすると結果を得ることに気持ちが傾倒し、子どもの成長という視点がないがしろにされる恐れがあります。
以前にも書いた記憶がありますが、小学生時代の勉強は、たとえ受験のためであったとしても、将来振り返ったときに“よい思い出”“プラスのイメージ”として残るものであってほしいと思います。それが、一生続く学びの人生を前向きで豊かなものにしてくれるからです。学習体験にまつわるそうした記憶は、中学・高校生になってからの学び、大学進学、実社会への参入にあたっての職業選択に少なからずよい影響を与えるものです。
だいぶ前になりますが、ある心理学者の著作を読んでいたときのことです。心理学研究室に所属する大学院生たちに、この学者が「きみたちは中学受験をしたよね。そのころの勉強がどういうものだったか覚えているかい?」といったような質問をしたそうです。
さて、大学院生たちは何と答えたのでしょう。「ただひたすら覚え込む作業をしたことぐらいしか思い出せません」「とにかく、暗記に明け暮れていたように記憶しています」といったような返答がほとんどだったそうです。
この学生たちは、日本を代表する国立大学の大学院生です。そのような立派な大学に通っているわけですから、学問の世界の成功者と言えるでしょう。大半が中学受験出身者でしたが、全員が入試を見事に突破した経験のもち主です。学生たちの返答の内容は、筆者には意外でした。
みなさんは、「じゃ、やはりどんな勉強でも受かった者が勝ちじゃないか」「暗記でもなんでも、受かればよいのだ」と思われるでしょうか。
先ほどのエピソードを著書で紹介されていた学者は、「大切なのは、自ら目標を定め、その目標を達成しようと自分で工夫して努力していく姿勢である。高校までは、指示をもらえば有能さを発揮できる人間も優秀とされるが、大学や社会においては、それではやっていけない。自分で目標を定め、その目標を達成するための方法を自ら考えて行動する姿勢を育てておかないと、うまくいかないことが多い」というようなことを書いておられました。
このことから筆者は思います。学習活動において最も重要なのは内実なのです。前述の学生たちが研究職に就いたとしても、有能な学者として頭角を現すのは難しいのではないでしょうか。ワクワクする思いに支えられた研究生活を送るのでなければ、研究者の道を選んだ意味は薄れてしまいます。前述の学者は、そのことを暗に指摘しておられたのではないかと思います。「学ぶことの真の意義は、今学んでいることのなかにある」と言われるように、真理探究こそ学問を修めることの目的です。進路選択に試験があるのは当然のこととしても、学問を修めることに喜びを感じる人にこそ、学者になってほしいものだと筆者は思いました。
今、中学受験をめざして勉強をわが子にさせている保護者にお伝えしたいことがあります。子どもは、目の前にある学習課題に興味をもったなら、「これは純粋な勉強か、受験のための手段としての勉強か」などとは思いません。ただひたすら夢中になって考えるだけです。それは実に楽しい勉強なのです。大人が、合格のことを口走りながら、試験のための勉強という側面から成果を要求すると、子どもにとっての大切な勉強の意義が損なわれてしまいます。
勉強から手応えを得た子どもは、受験の重圧に押しつぶされたり、「勉強は受験のためにしかたなくやるものだ」という観念に縛られたりすることはありません。受験勉強を通して、楽しい経験だけでなく、辛い経験もするでしょうが、自分で乗り越えようと努力することで、辛い体験もよい思い出の一つに変える力を培うのです。
冒頭の話に戻りますが、小学生時代に繰り返しやったことは原体験として脳の奥深くに刻み込まれ、その人の人間性の構築に大きな作用を果たします。一生前を向いて生きる人間、努力を怠らない人間にわが子を育てたいなら、学びの体験が“よい思い出”“プラスのイメージ”として残るよう配慮してあげてください。
今はまだ、わが子がどういう職業に就くか、どういう人生を歩むかは全く想像もつかないかもしれません。しかし、前述のような親の配慮のもとでお子さんが伸び伸び学んだなら、その体験が将来の歩みの原型を築きます。それは、親にとってとても大切な仕事だと思います。