わが子に中学受験をさせるのはなぜ?
5月 2nd, 2016
今週はGWにつき、弊社の講座は全て休講となっています。そこで、保護者の方々にちょっと考えていただきたいことを話題にとりあげてみようと思います(以下の文章は、以前書いたイベントの資料の一部分に加筆したものです。ご了承ください)。
このブログをお読みいただいている保護者のほとんどは、お子さんの中学受験を視野に入れておられると思います。そこで、お子さんの中学受験を思い立った理由を振り返ってみていただけないでしょうか。代表的なものを二つあげてみました。どちらかに当てはまりますか?
どうでしょう。Aにしろ、Bにしろ、「子どもによりよい人生を」いう親心からくる考えで、どちらも納得できるものだと思います。親としては、こうした構想があって中学受験をさせるのですから、わが子には大いに頑張って結果を残してほしいと期待するのは当然でしょう。
しかしながら、今日の日本は子どもの教育において難しい局面に突き当たっています。いわゆるキャッチアップの時代(「欧米に追いつき追い越せ」という旗印の下でがんばっていた時代)をとうに終え、国自体が進むべき目標を見失ったまま混とんとしています。
今の子どもにとっては、AもBもさして勉強のモチベーションになりません。これからお子さんの中学受験を応援される保護者の方々も、ただ漠然と受験させようとしたのでは、「期待したほどがんばってくれない」と言って嘆くような事態に至る可能性は多分にあるでしょう。近年の学力低下の問題も、こうした状況と無関係ではありません。
そこで今回は、前述のような状況に至った原因を踏まえながら、どうしたら子どもの学びを活性化できるかを考えてみたいと思います。
ご承知のように、長い間わが国ではAのような考えが受験熱を支えていました。よい学校に入り、高い学歴を手に入れれば、人生の成功者になれる。そういう世の中だったからです。しかし、今やこの考えかたは現実とそぐわなくなっています。いい大学に行っても、よい職が得られるとは限らなくなり、学歴が人生の成功を保障する切り札にはならなくなったのです。そのことを、子ども自身もわかっています。だから、「勉強なんて、やりたくない」のです。
一方、Bのような考えかたはどうでしょう。今これをお読みの保護者のなかにも、Bのような考えに立っておられるかたは少なくないことでしょう。こういった親の期待はよく理解できます。ですが、この親心をお子さんは理解し、勉強に勤しんでおられるでしょうか。今日の社会では、こういう親の期待に沿った学びもなかなかうまくいきません。どうしてでしょうか。
哲学者の西 研氏は、日本の子どもが学ばなくなった理由を次のように述べておられます。
第一に、子どもたちはすでに豊かなのだから、勉学によって貧困から脱出するという動機を失った。さらに、高学歴が普通になったことは、受験の努力に対する「見返り」が減少したことを意味する。こうして「受験のための勉学」という目的が解体し、子どもは「なんのため」かがわからないまま、学校に行かなくてはならなくなった。
さらに、日本社会が「消費社会」化したことも大きく影響している。かつての世界像は「家や社会に貢献する何らかの役割を果たして初めてまともな人間である」という生き方の枠を含んでいた。しかし消費社会の到来はそうした枠を取り払い、「一人ひとりが自分なりの“歓び”を汲み取るために生きる」ことを当然のものとした。
実際今の子どもたちは、幼いころから自分なりの消費生活を楽しんでいる。快を得ることが当たり前だと思って育つ彼らからすれば、「集団のなかに入ること」および「勉学」は基本的には労苦・ストレスなのであって、それに耐える理由がハッキリしないならば、逃げ出したくなるのは当然だと思う。しかし肝心のその理由(勉学の意味)が、与えられないままなのだ。
どうでしょう。Aのような考えかたも、Bのような考えかたも、子どもを勉強させる力になり得ないようです。
子どもが学びのモチベーションをもちにくい今日ですが、そのいっぽうで高度な学問の必要性はますます高まっています。優れた頭脳の持ち主は、産業社会では強く求められています。勉学の必要性を強く感じておられるおとうさんおかあさんとしては、何としてもわが子にはしっかりと勉強し、高いレベルの学力、知性の持ち主になってほしいと願っておられることでしょう。
中・高一貫校、ことに私立の中・高一貫校は、そうした意味においてとても魅力のある教育環境を調えています。しかしながら先ほどから申し上げているように、ただがんばれ、がんばれと言うのでは、子どものモチベーションは上がりません。そこで、気がつけば受験する本人の気持ちをさしおいて、無理やり勉強させることになりがちです。
これでは本末転倒です。受かるか受からないかに関わらず、大人主導の“やらされ勉強”では子どもは将来大成することなど不可能です。なぜなら、ただ知識を頭に押し込んだり、技能を身につけたりしただけの人間は、自分で自分を伸ばすためのすべをもてませんし、新たな局面を自ら打開していく力がありません。こうした勉強で得た学歴が世の中に出てみると通用せず、行き詰まっている人間が今やいっぱいいるのです。同じ轍を踏むべきではありません。
中・高一貫校で学力不振にあえいでいる生徒さんがいますが、学びの目的も学びの推進力ももちあわせていないことが原因であることが多いのです。それは、とりあえずの合格のために大人主導の勉強をやらされたからかもしれません。あるいは、少子化のあおりで入試合格が得られやすくなり、中途半端な勉強で受かってしまう子どもが増えているからかもしれません。
では、どうすれば子どもの自律的な学びは実現できるでしょうか。世の中の大きなうねりに抗するのは難しいことなのでしょうか。
時代は変わっても、子どもの本質は変わりません。知りたいこと、疑問に思ったことがわかったとき、子どもの目が輝くのは今も昔も同じです。そこに活路が見出せるのではないでしょうか。毎日の生活において、親子共々疑問を解決することの楽しさを実感する体験をすることから始めてみませんか?そうしたことの延長に勉強もあるのですから。
そもそも、勉強の目的は進学のためでもなんでもありません。将来のためという意識も後付けのものであり、知りたいから、疑問を解決したいから勉強するのです。ある学者が書いていましたが、「勉強の真の目的は、今学んでいることのなかにある」のです。知るということの楽しさや醍醐味を味わった子どもは、必ず中学受験の課題にも興味をもちます。算数には、簡単な計算式を考えることで疑問を氷解させる喜びが数多く味わえます。理科や社会の勉強には、世の中の現在や過去、自然界の不思議に触れる楽しい内容がふんだんにあります。
そして、これはこのブログで何度もお伝えしましたが、中学受験準備期の小学生のものごとに取り組む意欲は、「親の期待に沿った人間になりたい」という願望を背景にしています。まだ人生経験の浅い小学生の子どもは、将来の構想や目標と結びつけて中学受験をとらえるには幼過ぎるのです。それよりも、親が自分に何を期待しているのかを知り、それに応えたいという気持ちをもつことが重要なのです。無論、その期待が子どもにとって納得のいく筋の通ったものであることが重要なのは言うまでもありません。
このような段階にある子どもに対して、親は何でも知ろうとする姿勢を尊重し、一緒に調べたり考えたりすることが求められるでしょう。また、自分から率先して取り組むことを奨励し、実行したときには大いに喜びほめる。テストでも、それに備えた努力こそ大切なのだということを伝え、頑張りをいちばんの評価軸に据える姿勢を一貫させる。おとうさんやおかあさんがこういうことを実践されれば、おそらくお子さんは目先の楽しさにかまけるような人間にはならないのではないでしょうか。
中学受験の準備期間は、子どもの人間的な特性が定まっていく時期にあたります。だからこそ、受験の結果にこだわるのではなく、子どもが学びに真摯に向かう姿勢を培うことができるよう働きかけるべきだと思います。今は中学受験から大学受験まで、かつてのような厳しい競争はありません。そのいっぽう、学歴や学校歴がいくら立派でも、真の実力がなければ自分を通用させることができない社会がやってきています。「問題は人間の中身なのだ」ということを、忘れないようにしたいものです。親がそういう価値観に基づいて接すれば、そのほうが追い立てられて受験勉強をするよりもよい結果が得られるものです。そして、何よりも人間としてまっとうな中身を携えることができるのです。
今から入試まで、親として心の揺れる様々な状況が訪れると思いますが、根本のところがきちんと定まっていれば、必ず子どもは親の期待通りに成長していくものです。ぜひ、親として軸のぶれない見守りと応援をお願いしたいと思います。