中学進学後の飛躍のために ~その2~
6月 13th, 2016
前回は、中高一貫の進学校(事例は私学)の生徒個々に対する“面倒見”や“目配り”について、三つのエピソードをご紹介しました。そして、それぞれについての筆者の見解や感想を書きました。
わが子の中学進学にあたり、親は「うちの子をちゃんと見てほしい」「わが子が立派に成長できるよう、しっかりとフォローしてもらいたい」と願うものです。それは当然の要望であろうと思います。しかしながら、学校の“面倒見”や“目配り”に関しては、ご紹介した事例のように様々な状況が予想され、どの親も満足するような状況にはなかなか至らないと思います。また、親の要望通りでなかったからといって、それが学校の怠慢だとは言えません。
そもそも、私学の一貫校の教育環境のよさとは、「生徒の志や生きかたを啓蒙する教育理念が学校風土に存在すること」「優れた情熱ある教師によって、レベルの高い授業が実践されていること」「学業に対する真摯な姿勢をもつ、優秀な生徒が集まっていること」などにあると、筆者は思っています。
このような学校で日々学ぶなかで、生徒はその学校の教育理念を自らに浸透させていきます。また、優秀な教師による卓越した授業は刺激に満ちており、生徒の意欲が触発され、学問に対する造詣が深められていきます。そしてこれが大きいのですが、一緒に学ぶ仲間が学力的に粒ぞろいであるだけでなく、それぞれに個性的で面白く、共に学ぶ生活を通して互いに競争したり励まし合ったりする関係が生まれ、それがまた勉学への取り組みや人間性の成長に波及していきます。つまり、その学校環境自体にすばらしい教育力があるわけです。そこが私学の魅力だと言えるでしょう。
こうしてみると、“面倒見”や“目配り”は付帯的なものであり、その必要性があったときに要請されるべきもののように思えてきませんか? 実際、そういった見かたは基本的には間違っていないと思います。しかしながら、近年は少子化が進み、全体的に子育ては過保護の傾向にあります。このような今日においては、中高一貫校の教育内容に対する保護者の期待や要望は変化せざるを得ません。学校に“面倒見”や“目配り”が求められるのも、そうした変化の一つではないでしょうか。
同じような要望は、おそらくどの保護者にもあるでしょう。しかし、重要なことは子ども自身が恵まれた学校環境を存分に生かし、自らの努力で成長していくことです。悩んだとき、困っているときにサポートしてもらえる環境はありがたいですし、いつも先生に目配りをしてもらい、学業の状態を掌握してもらえていることは大変な安心でしょう。しかし、それが不要なくらいの人間になることのほうがもっと重要ではないでしょうか。
ここまで書いて、やっと本題に入ることになります。子どもが中学校に進学後、恵まれた教育環境を自ら活かして成長していくためには、それなりの態勢づくりや準備をしておく必要があるのです。さて、それはどのようなものでしょうか。すでにお伝えしたように、志望校に合格できる学力を携えさえすれば、進学後の心配が無用になるわけではありません。中高一貫の進学校の生徒になってからの飛躍を後押ししてくれるのは、テスト学力とは違った要素なのです。では、どんな要素が考えられるのでしょうか。いくつかあげてみたいと思います。
① 受験生活を通して、学びの主体性・自律性を育んでおく。
自らを律しながら学んでいく主体性。これこそが先々の躍進を支える知的財産です。ところが、中学受験を終えた段階で「勉強はこりごり」といった状態の子どもも見られます。これではまた塾通いを余儀なくされてしまいます。学びの主体性を奪う、暗記や詰込み式の受験勉強、大人による強制的な受験対策は決して子どものためになりません。
もどかしいことですが、子どもが勉強に興味をもち、その楽しさを享受できるよう導くことが受験勉強の初期段階における基本であろうと思います。そして、より高度な内容へと進んでいくことを子どもが楽しみにするような流れを築くのです。そうして、「勉強は自分にとって必要なもの」と思うようになれば、入試レベルの問題に挑戦する段階になってからも、決してへこたれることはありません。それでこそ、レベルの高い進学校の教育環境が子どもにとってふさわしいものになるのではないでしょうか。
「何としても合格を」という大人(親や学習塾)の思いはわかりますが、どういう方法で受験しても受かりさえすれば子どもの将来が保証されるわけではありません。親の期待するレベルには届かなくても、自分でやる勉強で受験してこそ、先々の飛躍に向けた可能性の芽は育つのです。
②「授業」と「家庭学習」を連動させた学習習慣を確立する。
日本の中等教育は授業を中心に行われています。この「授業」を大切にし、活かせるかどうかで、1年2年のうちに大きな差がついていきます。授業時間は1科目につき1時間足らずです。この限られた時間を活かすための方策として、たとえば数学では単元の中心をなす理論を、順を追って理解していけるよう、先生からの発問や生徒の発表を織り交ぜながら丁寧に指導していくのが普通です。
授業で理屈を理解し、家庭で反芻しながら類似問題に取り組む。この繰り返しがリズムを生み、学力形成の流れが築かれていくのです。ところが、問題演習中心で受験を乗り越えた生徒さんは、このような授業を退屈に思い、一緒に考えを進めていくプロセスをスルーしてしまいがちです。当然、単元の重要な導入が不十分ですから、家庭での勉強がうまく進みません。それ以前に、そもそも家庭学習の習慣すらない可能性があります。これでは行き詰ってしまうのではないでしょうか。
弊社の受験指導は、4年生は「授業と家庭での復習」、5・6年生は「授業と家庭での予・復習」を軸に据えています。小学生ですから、高いレベルでやりこなせるわけではありませんが、このような学習が習慣づけられていることが、中学進学後の飛躍につながるのだと筆者は考えています。
③家庭での家族間のコミュニケーションを大切にする。
受験生活に親子の会話はどんな意味をもつでしょうか。「話をする時間があるなら勉強を」と思われるかたがあるかもしれません。しかし、家族の会話を通して身につけたコミュニケーション能力は、子どもの学力形成にとても大きな作用を果たすのです。
まず言えるのは、親子の会話を日常から楽しく経験している子どもは、人の話に耳を傾ける姿勢をもちます。これが、授業を集中して聴く姿勢につながります。親子で互いの思いを伝えあうことに慣れている子どもは、自分の意思を他者に伝える力があり、コミュニケーション能力に長けています。これが先生への質問や相談、授業での発言・発表という自発的な行動を可能にするのです。また、中学進学後の友人関係の形成にあたっても困ることがありません。
近年、大学では入学早々から不登校や退学の問題が生じているそうです。その理由は、友人ができない、ランチを一緒に食べる人間関係を築けないなど、大学での勉強以前のコミュニケーション能力不全であることが明らかにされています(有力大学を含む多くの大学で対策が講じられています)。
中学受験のプロセスでも、家庭での親子の会話を大切にしましょう。このような家庭では、勉強の悩みや問題点を親が早期に察知し、アドバイスを送れます。何よりも人間として健全な成長が果たせます。
④ 現状を振り返りながら修正していく姿勢を身につける。
自分は今どういう状態にあり、問題点はどこにあるのか。このような認知機能を“メタ認知”といいます。メタ認知的な思考は、今日の高度情報化社会において非常に重要なものとされています。メタ認知的思考は、小学生でもできます。また小学生のうちに育てておけば、中学受験を乗り越えるうえでも役立ちますし、後々まで人生を渡る過程において大きな助けになります。
メタ認知的な思考があれば、自分の学習状況を客観的に掌握し、いつまでに何をどうすれば現状を修正できるかを考え、対策を講じることができるでしょう。たとえば、テストの成績が返ってきたとき、どこを落としたのか、どこができたのかを仕分け、落としたところの勉強を振り返り、何が不十分だったのかを明確にしていくことができるでしょう。受験勉強でこのような思考や行動姿勢を磨いておけば、学ぶ内容が高度化する中学・高校での学習で大いに力を発揮することでしょう。
ほんものの力をつけるには、テストに備えた学習を一生懸命やるだけではなく、テストのあとの振り返りややり直しが不可欠です。メタ認知的思考は、このような学習を推進するための強力な武器であり、一生を通して自分を伸ばしていくためのツールになります。
まだまだご紹介したい条件がいくつもありますが、複雑になるのでここまでにしておこうと思います。結局、お子さんがどのような学校環境に身を置くことになったとしても、勉強を自分に必要なものだという意識をもち、自らを律する姿勢があればどのようにでも成長していけるのではないでしょうか。
逆の見かたをすると、大人が受験の結果を求めるあまり、子ども自身の勉強であるという大前提を揺るがせてしまうと、どの学校に受かろうとも意味をなさなくなってしまうと言えるでしょう。
受験のプロセスにおいて何がお子さんに必要なのかを、多少はお伝えできたかなと思います。お子さんの勉強で基本とすべきことをしっかりと根付かせましょう。そして、少しずつの進歩を信じ、励ましてやりましょう。そして、前よりも少しでも努力をするようになったなら、大いに喜んでやりましょう。その繰り返しが子どもの望ましい成長を促すのは間違いありません。