“忘却”は受験生の敵か

6月 26th, 2017

 今回は、“忘却”すなわち“忘れる”ということを話題に取りあげてみました。なぜこの話題を取り上げるのかについては説明無用かもしれませんね。受験生にとって、忘れるということはあってはならないことであり、日々の受験生活は忘却との闘いのようなものですから。

 せっかく苦労して覚えて手に入れた知識も、一定数はいつの間にか記憶のふるいから抜け落ちてしまいます。覚えたはずの知識が、肝心のテストのときに思い出せず、歯ぎしりのする思いをした経験はどなたにもおありでしょう。中学受験生ならなおさらで、「あー、自分の頭がもっとよかったら。もっと記憶力があったなら」と、テストの度にため息をつくお子さんは少なくありません。

 しかしながら、「忘れることは人間にとって不可欠のことである」という知見を紹介しておられる学者がおられます。お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古先生(前回のブログでも、この先生の著述をご紹介しましたね)です。先生によると、記憶と忘却は切っても切れない関係にあり、言うならば「呼吸のようなもの」なのだそうです。以下は、そのことについて述べておられる箇所の引用です。

 実際、小さいときから、忘れるのはよくないこと、困ったことだと思い込まされている。学校で勉強したことはよく覚えておけ、忘れてはいけない。覚えているかどうか確かめるために、忘れたころに試験をする。忘れて間違うと減点という罰を受けるから、いつとはなしに、忘れることをオゾマシキ厄介者のように思って大きくなる。

 忘れないで、よく覚えて記憶力のよいのは“頭がいい”とされ、逆に、忘れっぽいのは“頭が悪い”ときめつけられる。忘却は貧乏神以上におそろしい。少なくとも、成績不振のもと、悪いのは忘れる頭である、ときめつけるのである。忘却からすれば、とんだ濡れ衣である。世間は誤解をしていることに気づかない。文化が発展、学問・技術の進歩と発達の目覚ましい現代においてなお、年来の勘違いを是正するに至っていない。不思議なくらいである。

 忘却は困ったことではない。それどころか記憶と同じくらいに大切な心的活動である。両者は、対立関係にあるのではなくて、セットとして、共同の働きをしていると考えるべきである。忘却がなくては記憶はその力を発揮できない。車の両輪のようなものだ、ということもできるが、呼吸のようなものと考えた方が妥当だろう。

 空気は吸ったら出さなければ、新たな空気を吸うことはできません。「呼(はく)」と「吸(すう)」は連動してこそ成り立つ行為です。記憶と忘却の関係も同じで、体験や学習によって得た知識も記憶したらそれで終わりではなく、忘れるということがあってこそ、記憶という活動が活性化するのだそうです。この繰り返しや連動性が重要であり、段々と記憶が整理整頓され、使える有用な知識になっていくのです。ですから、忘れることは人間にとって必要なことなのですね。

 外山先生はこれに関して興味深いことを書いておられます。「呼吸」についても、「記憶と忘却」にしても、一般にその順序性が誤解されているというのです。呼吸について考えてみましょう。われわれは「まず空気を吸って、それから吐き出す」と考えがちですが、そうではなく、「まず体内のよくない空気を吐き出し、そのあと新しい空気を吸い込む」のです。「吸わなければ、吐く息もないのでは」と思う人に対して、外山先生は「残っているよくない息を全部出してしまってから、きれいな空気を吸い込む。これが深呼吸である」と述べておられます。

 記憶と忘却の関係もこれと同じで、まず忘却が先にあるのです。忘れることによって混とんとした知識を整理整頓し、スッキリした頭で次の学習活動を行うのです。様々な知識で混乱した状態で学習をしても効果は得られません。しっかりと根付いていない知識はいったん忘れてしまい、そのうえで次の学習活動へ移行すれば、記憶がより働きやすくなるのですね。その意味においては、忘れることは必要なことであり、よいことなのです。

 もう一つ記憶についての話題を。人間の忘れかたには個人差があります。テストで同じように85点を取った生徒も、間違えた個所は一人ひとり違っているのが普通です。前出の外山先生によると、このような忘却の個人差こそ、人間の個性であり、創造力のもとなのだそうです。これに関する著述の一部をご紹介してみましょう。

 知識の記憶のみによって、個性を育むことはできない。知識も記憶も、そのままでは没個性的であり、超個性的である。忘却はひとりひとり独自の忘れ方をする点で、個性的である。没個性的な知識を習得することを通じて個性が生まれるのは、つまり忘却の作用によるのである。( 中略 )

 コンピューターは記憶の巨人である。単純記憶において、コンピューターに勝る人間は存在しないと言ってよい。完全に多量の情報を記憶し、それを操作、処理する能力をもっている。完全記憶を実現しているが、個性がない。忘却ということを知らないからである。記憶だけなら人間はコンピューターに叶わないが、忘却と記憶のセットで考えれば、人間はコンピューターにできないことをなしとげる。この点からすれば、忘却は新しい役割を認められなくてならないはずである。忘却が個性化をすすめ、創造的なはたらきの基盤であるのに目を向けないのは怠慢である。

 忘却は力である。忘却力は破壊的ではなく、記憶力を支えて創造的なはたらきをもっている。

 どうでしょう。忘れることに負のイメージばかりもっていた筆者にとっては新鮮な視点をもたらしてくれる情報でした。みなさんはどう思われましたか。受験学習においても、「忘れるな!」一辺倒ではなく、「何を忘れたか」を検証し、学び直すことで、お子さんの頭脳はお子さん独自の発達を遂げ、創造的な知力の持ち主に成長していけるんですね。

 覚えることと忘れることは、どちらも同じぐらい大切なんだということを、お子さんに伝えてあげてください。

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