新しい年に寄せて ~人生の成功の原動力とは~

1月 6th, 2018

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 新しい年がやってきましたが、学習塾がやるべきことはいつも同じです。冬の講座の続きを終え、6年生はいよいよ秒読みを迎えた入試に向けた最終調整へ。入試問題の演習指導を中心に、個々の受験生の最後の詰めをサポートしていきます。4・5年生は、後期の講座の続きを進めていきます。

 いっぽう、他の学習塾さんも大概同じでしょうが、2月は前年度の講座を終え、新年度の講座のスタートに向けた切り替え時期になります。弊社もすでに昨年の終盤から新規入会者の募集活動を行っています。このような時期ですから、これから中学受験に備えた勉強の開始を検討されているご家庭も多数あることでしょう。親にとっては「わが子に一番ふさわしい学習塾」を探すのが大変かもしれませんね。

 さて、受験準備のために通う学習塾が決まり、いよいよ受験勉強が始まったら、子どもたちはたちまちわき目も振らずに勉強に勤しんでくれるでしょうか。まあ、そこまではいかなくても「やる気を失わずに最後までがんばってほしい」と願うのが親心というものです。ですが、多くの場合親の期待は塾への通学早々から裏切られることが多いものです。それは、受験することの意味すらわかっているとは言い難い小学生ですから無理もありません。 

 だいぶ昔のことですが、筆者の息子も例外ではありませんでした。親としての対応にもいろいろと悔いるところがあります。ともあれ、大多数の親がわが子の受験生活で望んでいるのは、単によい成績を取ることだけでないと思います。むしろ、「やるべきことを、責任をもってやり遂げてほしい」という願いが強いのではないでしょうか。つまり、「自覚」と「実行」を期待しているのです。

 親の目から見て、イライラさせられるのはだいたい次のような状況を目の当たりにしたときでしょう。

・やるべき時間になったのにテレビにかじりついている

・子どものノートを見たら、とてもまともな勉強をしている様子ではなかった

・机に向かってもすぐに気が散り、ゲームなどの遊びにかまけている

・テストの成績を見たら、信じられないような成績をもらっていた

・注意をすると猛反発するくせに、一向に改める気配がない

・辛くても実のあるほうに注力せず、楽なほうにばかり流れる

 勉強には「楽しい」と感じる面もありますが、多くの場合辛さや苦しさを伴うものです。まして子どもは遊びたい盛りの年齢です。ですから、ちゃんとした受験勉強のできる子どもにするには、大人のサポートが不可欠です。学習塾には、「受験に必要な知識やスキルの伝授」のほか、「勉強のおもしろさを味わえる授業の実践」「家庭で勉強をする方法の伝授」などの役割がありますし、親は「子どもの勉強に絶えず関心をもつこと」「努力を奨励し、がんばったときには大いに喜びほめてやること」を通して学びの意欲や元気を吹き込む必要があります。お子さんは、まだ親の反応を見ては態度を決める年齢段階にありますから、親が常に見守り、何を期待しているかを伝え、努力を承認し激励してやらねばなりません。受験までの道のりは長く、親にとっても心配やストレスの絶えない日々が続きますが、うまくいったならわが子の見違えるような成長を目の当たりにすることができます。

 入試までのプロセスにおいては、どの子どもだってスランプもあるし勉強を投げ捨てようとするときもあります。しかし、親や学習塾が一貫して子どもを熱心にサポートしていけば、状況をまき直しよいほうへと向かわせることができます。そういうことを繰り返しながら、少しずつ勉強は軌道に乗っていくのです。そして、ある時期から親のあてがった受験勉強が子ども自身のものへと変わっていきます。辛くもある、苦しくもある、サボりたくもなるけれども、「これまでやってきたことを今更投げ出したくない、今更サボれない」といった気持ちが勝るようになれば大丈夫です。このように、誘惑に負けずにやり通そうとする子どもにできるかどうかが、入試での成功を得る重要なポイントだと思います。

 最近筆者が読んだ本に次のようなくだりがありました。著者は新進気鋭の学者で、中国系のアメリカ人です。この学者は、一流の人間に成長していく人物はどこが違うのかを徹底的に調査し、「マッカーサー賞」(将来を嘱望される、創造的な研究をしている人に贈られる賞)を受賞しています。

 私の計算がほぼ正しければ、才能が人の2倍あっても人の半分しか努力しない人は、たとえスキルの面では互角であろうと、長期間の成果を比較した場合には、努力家タイプの人に圧倒的な差をつけられてしまうだろう。

 なぜなら努力家は、スキルをどんどん磨くだけでなく、そのスキルを生かして精力的に壺をつくったり(前の著述部分で、優れた陶芸家の話を紹介しています)、本を書いたり、映画を監督したり、コンサートを開いたりしているからだ。重要なのはスキルそのものではなく、壺や本や映画やコンサートの「質」や「量」だとすれば、努力家のほうが、努力しない天才よりも大きな成果をあげることになる。

 「才能とスキルは別物だとはっきり認識する必要がある」と、俳優のウィル・スミスは言っている。

 「だけど、一流になりたい、自分には夢がある、成し遂げたいことがあるんだ、なんて言っている人に限って、そのことをちゃんと理解していない。たしかに、才能は生まれつきのものだ。だがスキルは、ひたすら何百時間もかけて身につけるしかない」

 さらに、私は「スキル」と「成果」のちがいも付け加えたい。

 努力をしなければ、たとえ才能があっても宝の持ち腐れ。

 努力をしなければ、もっと上達するはずのスキルもそこで頭打ち。

 努力によって初めて才能はスキルになり、努力によってスキルが生かされ、さまざまなものを生みだすことができる。

 この著述にもあるように、どんなに有能に見える人物も、努力なくして成功することはできないのですね。特に 下線を引いている最後の一文は、お子さんの学習にも言える大切な考えかたを示唆していると思います。中学受験での成功に照らすと、要は「わが子を、いかにして継続的な取り組みのできる努力家タイプの人間にするか」が、親としての重要な役割であろうと思います。中学入試での成功はもとよりその後の人生の成功にとっても、あきらめずに努力を貫ける人間にわが子を育てることが最も大切なことだと言えるのではないでしょうか。

 前出の学者はまだ若い女性の研究者ですが、彼女はウエストポイント(米国陸軍士官学校)に入学を許可されたエリート中のエリート(アメリカのトップランクの大学に受かるだけの学力を有し、スポーツにも万能で学校の推薦状を得た高校生12,000名のなかから、入学を最終的に許可されるのは1,200名です。そのプロセスで行われる訓練は、想像を絶するほど厳しいものだと言われています)がどんな特性をもった人物かを徹底的に研究しました。その結果、一握りの成功者になれるかどうかにあたっては、才能が決定打になるのではなく、最後まであきらめずにやり抜く姿勢を貫けた人物であるということを著書で述べておられました。

 元の話に戻りますが、受験生はまだ将来を見通して戦略を立てることができない小学生です。そんな小学生が決めたことをコツコツと継続していくには、まだまだ親の愛情や応援という後押しが欠かせません。わが子を粘り強くサポートしてやりながら、少しずつ手を放していくタイミングをはかっていく。それが中学受験生の親に求められる対応ではないでしょうか。

 私たち学習塾の指導担当者も、お預かりしたお子さんがたが少しずつ着実に自立した学習者に成長していけるよう、辛抱強く愛情をもって応援させていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

Posted in 子育てについて, 家庭学習研究社の特徴

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