AI時代に求められる人間の知的能力って!?
4月 22nd, 2019
今回は大層なテーマを掲げてしまいましたが、筆者にはこうした方面に大した知識も造詣もありません。ただし、これから大人になり、社会に出ていく子どもたちにとって、「AI時代の到来に向けて、どのような能力が求められるか」を知り、そのための備えをしておくことは一生を左右する大きな問題でしょう。そこで、書物からの引用が多くて恐縮ですが、今回のテーマに沿った情報をご提供してみようと思います。
中学受験をめざした勉強も、これから訪れる社会がどのようなものかを踏まえるなら、ただ受験合格のための手段としての勉強に終始するのではなく、「どんな勉強で志望校合格を果たすか」という発想をもとにした勉強のありかたを考えることも必要でしょう。とは言え、現時点ではそのことを子ども自身に理解させ、自分で勉強のありかたを考えさせるには無理があります。そこで、まずは保護者とともに、これから訪れる時代を見通した学習のありかたについてともに考えてみようと思います。
まず、AI時代の到来という話題はともかく、みなさんはお子さんの中学受験やそれをめざした準備学習がどのようなものであるべきかについて、何らかの方針や考えをおもちでしょうか。「どんな勉強かどうかはどうでもよい。受験で合格できるテスト対応力が身につきさえすればよい」とお考えのかたはおありでしょうか。おそらく、家庭学習研究社にわが子を通わせておられる保護者のなかには、こういった考えのかたはほとんどおられないと思います。何しろ、「学びの姿勢」を重視し、「自ら考えて解き明かす勉強」を奨励している学習塾ですから。
テスト対応力のみに的を絞るなら、暗記やスキルに傾倒した勉強もあながち否定できません。しかしながら、こういう勉強で身につく知識・技能は、まさにAIが簡単にとって代われる領域の能力です。前回の記事でご紹介したイアン・レズリー氏の著書によると、これからの社会で求められるのは、ジェネラルな知識と高度な専門知識とを併せもつ人、高度な判断力を発揮できる人、複数の分野を横断するチームで新たな創造的活動のできる人です。こういう能力こそ、人工知能が苦手とする領域だからです。そして、このような知的能力を育むのは人間の好奇心だと言っておられます。
もはや、経営者や会社から命じられた仕事を機械的にこなすだけでは十分ではなく、現状の問題の在り処を自ら探り当て、解決に向けて思考を巡らせ、最善の方策を編み出すべく行動できる人間がこれからの社会では求められています。それは人工知能には任すことのできない仕事です。そういった能力を発揮するうえでの原動力が人間ならではの好奇心なのですね。レズリー氏は、「コンピューターは賢い。だがどれほど高性能でも、今のところ好奇心旺盛なコンピューターは存在しない」と述べておられます。
以上を踏まえると、「なぜだろう」「これはどういうことなのだろう」と絶えず不思議に思い、疑問を投げかける。そして、知りたい対象をとことん調べて事実をつきとめる。あるいは、どうしても解決できない問題を、様々な知識を総動員して突破口を探り当て、ついには自ら解決法を見出す。そういった能力を発揮できる人間になれるかどうかが、AI時代に生き残るうえでの条件なのだと言えるでしょう。
では、ここで現在のお子さんが前述のような好奇心をどれだけもっているかを簡単にチェックしてみましょう。以下の10の項目に対してYESかNOの二択でお答えください。なお、この質問項目はレズリー氏の著書にあった18項目をもとにしつつ、さらに一部小学生の子どもに対応させた内容に変えていますので、ご了承ください。
心理学においては、ここまで述べてきたような人間ならではの好奇心を、「認知欲求」と呼んでいます。認知欲求が強い人間は、知的興味を満足させることに熱心であり、ものごとを合理的に省力化して解決するよりも、知りたいという欲求をとことん満足させることのほうを優先する傾向があります。
上記の質問の1、4、6、8、10にYES、2、3、5、7、9にNOと答えているようなお子さんは、認知欲求の強い傾向があり、成人後もそういった人間に育つ可能性が高いでしょう。
レズリー氏によると、「認知欲求の低い人々は物事の解明を他人に任せ、多数派と思われる意見を安易に受け入れて満足する傾向がある」と述べておられます。また、「認知欲求が高い人々は、洞察力を要し、常識を揺さぶり、難問を突きつけてくるような経験や情報を自分から求めることが多い」と述べておられます。どちらが創造的で心豊かな人生を歩むうえで有効かは論を待たないことでしょう。言わば、「苦労を厭うことよりも、知的欲求を満足させることのほうが重要だ」と考える人間なのですね。
ここまでをお読みになって、お子さんの認知欲求のレベルについて不安や心配の念を抱かれたかたもおありかもしれません。しかしながら、弊社に通って中学受験準備の学習をしている子どもたちの大半は、認知欲求の強い子どもたちです。こうした面をスポイルすることなく成長していけるようサポートすることこそ、親に求められる役割であろうと思います。
筆者は中学受験の指導現場で15~16年間仕事をしていました。その頃の子どもたちのことが今でも忘れられません。たとえば、授業後も残って算数の課題に取り組んでいる6年生の子どもたちの勉強ぶりが印象的に残っています。イヤイヤ課題に取り組む素振りは微塵もなく、むしろ様々に思考を巡らせて解決の糸口を探り当てることを楽しんでいるかのようでした。誰も解決できないような難問に突き当たって難渋したとき、誰かが「分かった!」とつぶやくと、たちまちその子の周りに大勢の子どもが群がります。しかし、誰も解きかたを教えてもらいたいのではなく、どう考えたのかを知りたくて集まったのでした。そして、考えかたのヒントを得たら「あとは自分でやってみる!」と自分の机に戻り、再び解決に向けた思考に没頭していました。
国語の授業では、テキストの問題を解くだけでなく、より深い読み取りに迫るため、素材文として切り取られた場面の前に何があったのかを想像するよう促すことがありました。すると、多くの子どもが自分の考えを次々に発表してくれたものです。また、「じゃ、このあとはどんな結末になったと思う?」と問いかけると、これまたいろいろな意見が飛び交います。「実は、私はこの本を読んでいて、結末を知っているんだよ」と言うと、大騒ぎになったものです。このような好奇心を携えている子どもたちの学びは、実に生き生きとしています。こういう子どものほうが、「問題の正解が分かればそれでよい」とする子どもよりも、一回の授業においてはるかに多くのことを学び取るのではないでしょうか。
受験勉強においては、とかく「テストに役立つ勉強以外は無駄だ」とみなされがちです。しかし、勉強のプロセスで好奇心を増幅させ、様々な問いかけをしながら「もっと知りたい」という欲求を満足させようとする子どもは、受験勉強の次元を超えた収穫を得ることができます。というのも、こういう勉強で得られる能力こそが、AIが人間にとって代わることのできないものなのです。難しくとらえる必要はありません。お子さんが「受験勉強は楽しい!」と感じておられるようなら、そのようなお子さんの勉強に対する向き合いかたを尊重し、見守っていけばいいのだと思います。自分で考えて解決するまで試行錯誤を続けるお子さんを認め、大いに励ましてあげてください。
最後に、好奇心の強い人間は、老化による脳の衰えも少ないという研究結果をご紹介しておきます。
2013年にシカゴのラッシュ大学医療センターのロバート・ウィルソンの率いるチームが、300人の高齢者について思考力と記憶力を毎年調査した結果を発表している。チームは300人の参加者に対し、現状だけでなく、幼少期や中年期まで遡り、読書やものを書く作業をどのぐらい行っていたか聞き取り調査を行った。そして彼らが亡くなると、脳に認知症の兆候がどの程度現れているか確認した。脳に刻まれた物理的影響を考慮したうえで明らかになったのは、生涯にわたって読書や文章を書くことに多く親しんできた被検者は、そうしたことを人並み程度しか行ってこなかった被検者に比べ、認知機能の低下の速度がじつに三分の一も遅いということだった。言い換えるなら、彼らは老いを遠ざけていたのだ。知的研究に年月を費やした結果、本来より多くの神経細胞を獲得し、老化による認知機能の低下を和らげていたわけだ。いわば生涯にわたる認知予備力への投資が実を結んだのである。
小学生の頃の学びは原体験としていつまでも人生の歩みに影響を及ぼします。知的なものを自ら志向し、充足を求めて行動する姿勢を子ども時代に養っておけば、それは一生の財産になるのだということがわかりました。われわれ大人も「今さら」と思わず、自らの好奇心を稼働させ、探索活動に勤しみたいものですね。