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勉強を嫌がらない子どもにするために その1

月曜日, 10月 7th, 2019

 今回と次回の記事は、幼児~小学校低・中学年児童をおもちの保護者を念頭に置いたものです。やがて弊社の教室に通って中学受験に備えた学習をされるようになったとき、十分な成果をあげられる子どもにするうえでどんな点に配慮したらよいのかについて参考にしていただけたなら幸いです。

 さて、早速本題に入りましょう。多くのおとうさんおかあさんは、わが子に「勉強の好きな子どもになってほしい」と願っておられると思います。ところが現実はどうでしょう。親の願望とは裏腹に、「うちの子は勉強を嫌がって困ります」と嘆いておられるケースが多いのではないでしょうか。今回はそのことについて考察しながら、子どもの勉強に対する受け止めかたや取り組みの姿勢をいかにして健全なものにするか、そのための親の関わりかたについて話を進めてまいりたいと思います。

 はじめに、「なぜ勉強嫌いの子がこんなにも多いのか」ということについて考えてみましょう。これはある意味簡単に結論が見出せそうな問いです。みなさんの子ども時代を振り返ってみてください。勉強が好きでなかった人は、その理由を考えてみてください。

 心理学者の琢磨武俊先生(東京都立大学名誉教授)の著作にこんな記述がありました。

 小学校6年生の子どもたちに、母親からもっとも多くいわれる言葉は何かと聞くと、ほとんど異口同音に、「勉強しなさい」ということであるという。
 ある研究所が主催して、夏休みに小学生の合宿を行った。五泊六日の日程で五十名くらいが参加した。子どもたちは自分たちで食事をつくり、水あそびをし、虫を追い、花火を上げた。最後の晩、火のまわりにみんなが座り、話し合った。何が楽しかったかと聞かれて、ここではお母さんから勉強しなさいとか、宿題はどうなっているの、などと言われなかったことだと答えたそうである。この合宿に参加したのは、とくに勉強の嫌いな子どもたちではないのである。
 勉強というのは、やりなさいと強制されてやり始めるような受動的なものではないはずである。身動きもできないように追いつめられて、いやいや始めた勉強が大きく実を結ぶことは、どうも期待できないようである。

 上記の文を読みながら、思わず頷かれたかたは少なくないのではないでしょうか。今子どもに「勉強しなさい」と口が酸っぱくなるほど言っている親も、子ども時代には同じように親から「勉強しなさい」と言われ続け、うんざりした経験が数知れずあることでしょう。ですから、実は「勉強しなさい」の言葉は利き目がないばかりか、むしろ逆効果を招くものだということは自らの体験でわかっておられます。

 それなのに、目の前にわが子がいると「勉強しなさい!」と口走ってしまう。それはなぜでしょう。親というのはどうも、ことわが子に対しては短絡な対応をしてしまいがちで、我慢強くゆっくりと期待する方向へ導くことができません。つまり高等戦術が苦手なんですね。いつも忙しくしていて気持ちに余裕がないうえ、相手が遠慮の要らない近親者、まして自分の子どもですから、冷静で慎重な対応をすべきだと思っても、先に感情に突き動かされた言葉が出てしまうのではないでしょうか。しかしながら、これでうまくいくことはまずありません。

 子どもはもともと知ることが大好きで、新奇なものを見ると「これは何だろう」と知りたがるものです。特に幼児期から児童期前半までの子どもにはそういう傾向が強くあるものです。前述の琢磨先生の著作に、次のような場面を目撃した様子が書かれていました。

<親の対応例>
A:「変なこと聞かないで。もう、おバカさんなんだから!」

B:「面白い質問ね。なかなか答えるのは難しいけど、たぶん口の中に入ったものは、胃や腸などで混ぜられたり溶かされたりしているうちに~」

 おかあさんの説明が十分でなかったとしても、Bのような対応をすれば、子どもはますます好奇心を駆り立てられるし、図鑑などで調べようという意欲をもつことでしょう。

 この場面において、件(くだん)のおかあさんはAのような対応をされていたそうです。琢磨先生は、その様子を見て、「子どもが大きな声でオシッコと言ったのが気に入らなかったのだろうが、この場面では少しも不潔なイメージを与えるものではなかった。せっかくのチャンスだったのに残念なことだ」と述べておられました。そして、子どもの好奇心から来る質問への対応の重要性についてこんな指摘もされていました。

 子どもの多様な質問に誠実に、その子どもに理解できるように答え、その子がいま何に興味をもっているかを察知し、その興味の目を育てるように、育てるようにと配慮している親、言葉をかえていえば、子どもの内側から湧き出てくるエネルギーを尊重し、それが消えることのないように工夫をしている親と、勉強ということで強制し、拘束するようにして一方的に教え込もうとする親と比べた場合、どちらの子どもが伸びていくだろうか。

 のちに勉強がいやになり、しぶしぶと受け身のかたちで机に向かうのは、後のタイプの親に育てられた場合である。子どもの成長の過程で、どんなことをしてでも教え、しつけていかなくてはならないことはある。たとえば世の中のきまりとか規則を教えていく場合で、矯正することが必要なこともある。しかし、教えられるもののほうに学びたいという気持ち、さらに学ぶことがおもしろいと思う気持ちがなくては、大きな成果は期待できないのである。

 この言葉は、筆者を含め子育て経験のある人間にとって誠に耳の痛いものであろうと思います。親の求める勉強の成果が、「何をどれだけ覚えたか、身につけたか」のほうに偏ってしまうと、「もっと、もっと」と勉強を強制する方向に向かいがちです。しかし、より大切なのは子どもの知りたいという欲求に応えてやり、更なる知識欲を引き出してやるような関わりなんですね。

 中学受験をめざすにあたって、知識欲旺盛で解き明かすことに熱心なタイプ(自ら学ぼうとする姿勢をもった子ども)、学びに主体性を欠く受動的な取り組みをするタイプ(親に言われてしかたなく勉強する子ども)、どちらがより大きな成果をあげるでしょうか。それは言うまでもありませんね。前者のような子どもにしませんか? 次回は、そのために親は今どういうことを配慮したらよいかについてお伝えしようと思います。

 ※今回の記事は、琢磨武俊氏の文献(「伸びてゆく子どもたち」中公新書773)を参考(一部引用)にして作成しました。

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